~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ヌード写真 (六)
なぜこんな話を長々したのかと言うと、さっき宮部さんは碁が好きだったと言いましたが、実は一度だけ宮部さんが碁を打ったのを見たことがあるからです。その相手が他ならぬ月野少佐だったのです。
その日も、たまたま月野少佐が整備兵兵舎にふらりと遊びに来ました。そしていつものように隊員たちの碁を見ていました。
その時、ふと少佐は宮部さんに目を留め、声をかけました。
「貴様、碁を打てるのか」
整備費に混じって航空兵がいるのが珍しかったんでしょうな。そうなんです。宮部さんもたまにわたしらのザル碁をのぞきに来ていました。
宮部さんは、はい、と答えました。少佐は、よし、と頷くと「一局行こうか」と言いました。
宮部さんは「よろしくお願いいたします」と深く頭を下げると、少佐の前に座りました。「せんでお願いします」
宮部さんはそう言って黒石を引き寄せました。われわれはみんな驚きました。整備兵の一番強い橋田兵曹でも、少佐には先どころか、二子でも歯が立たないのですから。
しかし少佐は別に気を悪くするふうでもなく、黙って白石を持ちました。
こうして対局が始まりました。最初、少佐はぽんぽんと打ちました。それに対して、宮部さんは一手一手ゆっくりと打ち進めていきました。
盤上の様子を説明出来ればいいのですが、わたしが碁を覚えてのは戦後です。盤上で起こっている戦いはまったく理解出来ませんでした。ただ、中盤になって急に月野少佐の長考が目立つようになりました。対して宮部さんの方は序盤と同じ感じで打ち続けています。少佐が打つと、しこし間を置いて、石をゆっくりつまんで盤上にそっと置きます。その置き方がまたいかにも柔かく、ほとんど音もしないのです。整備の連中がよくやる、石を叩きつけるように打つなどということはまったくやりませんでしたな。
終盤は少佐がうんうんと唸りながらの対局になりました。その様子を見て、わたしらは少佐が負けるのではないかと思いました。そうなれば喝采かっさいものですわ。少佐に恨みはありませんが、たとえ遊びでも下士官が士官に勝つというのは何とも痛快事に思えたんです。わたしらの間で期待が膨らみました。}
打ち終わって、盤面を整理すると、少佐の一目いちもく勝ちでした。
わたしも含めて周りを囲んでいた全員が口々に月野少佐の勝利を称えましたが、内心では落胆していました。
「有り難うございました」
宮部さんはそう言って深く頭を下げました。それで、少佐も慌てて、「いや、こちらこそ有り難うございました」と頭を下げました。
しかし少佐はそのまま盤面をにらんでいます。
「貴様、名前は?」
宮部さんは立ち上がって、名前と階級を告げました。
「宮部一飛曹か ── もう一局相手してもらえないだろうか」
「はい」
宮部さんは深く頷きました。
少佐はにっこりと笑うと、今度は自分が黒石を引き寄せたのです。皆、驚きましたわ。ご存じかどうか知りませんが、碁は上手が白を持ちます。先手番の黒は有利で、後手番の白はその不利を盤上で取り返す技量がないとあかんからです。現在のプロの碁では先手が六目半のハンデを相手に与えて戦いますが、当時はそういうハンデがありませんでした。
宮部さんは、「いや、それは ── と言って、黒石を取ろうとしました。
「いや、わしが黒田よ」
少佐は宮部さんの手を制しました。宮部さんは仕方なく白石を引き寄せました。驚くことが起こったのはそmの後です。少佐は、黒石をつまむと盤上に二つ置いたんです。
「これでも少ないと思うが、一つこれでお願い出来ますか」
宮部さんは、静かに「わかりました。お願い致します」と言いました。
専門棋士に二子で打てると豪語する少佐が二子を置くと言うことは、宮部さんの腕前は専門棋士と同等と言うことです。
この対局は先程と違い、最初からお互いに一手一手じっくり考えたものになりました。
そして、中盤戦いは突然終わりました。少佐が投了したのです。碁を知らないわたしには何のことかわかりませんでしたが、かなり碁の強い整備の者さえ、首を傾げていましたから、周囲の者には唐突に終わったと見えたようです。しかし宮部さんは別段驚くふうでもなく黙って頭を下げました。
「歯が立たない」
少佐は言いました。
「宮部一飛曹は専門家について勉強したのか」
「はい、瀬越せごえ憲作けんさく師に学びました」
「瀬越師か 呉清源ごせいげんの師匠だな」
呉清源の名前はみんな知っていました。中国から渡って来た天才少年で、戦前の日本の碁好きたちを大いに湧かせた男でした。彼の名は碁の知らない者間にも知られてました。「半玉はんぎょくがひそかに思う呉清源」などという川柳もあったほどです。半玉とは芸者修行をしているおぼこ娘です。たしか呉清源はまだ生きているはずですね。九十を超えていて、いまだに碁を研究していると言うんですから、すごですなあ。
わたしが「瀬越憲作」なんちゅう名前を覚えているのも、そういうことがあったからです。
「専門棋士を目指していたのか」と月野少佐が尋ねました。
「いいえ」と宮部さんは言いました。「わたし自身はそうなりたいと思っていたこともありましたが、父が許しませんでした」
「そうか」
少佐はそれ以上は聞きませんでした。そして石を片づけると、
「有り難う。大変、勉強になった。また機会があれば、ご指導をお願いします」
と言いました。宮部さんは深く頭を下げました。
しかし二度目の対局はありませんでした。二週間後、月野少佐は艦隊勤務に転任となって駆逐艦「綾波あやなみ」に乗艦し、その年の暮れに行なわれたガダルカナル島砲撃の夜戦で艦と運命を共にしました。
2024/11/06
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