先程も言うたように、十八年の後半からは邀撃戦が主流だったので、ラバウルにも敵機が沢山堕ちました。
彼らはたいてい落下傘降下しました。我が海軍の搭乗員なら自爆するところを、敵地の中に落下傘で降りるのです。彼らは捕虜になることをまったく恥じてはおらんかったですな。これは少々驚きでした。わたしらはずっと「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育されて来たからです。
ある時、ラバウルに空襲に来た米軍のB17爆撃機を味方の高射砲部隊が撃墜しました。B17は飛行場のはずれに堕ちました。
搭乗員たちは墜落前にパラシュート脱出しましたが、高度が足りなかったため、パラシュートが完全に開ききらず、全員が海中や島に墜落死しました。
そのうちの一人がラバウルの飛行場の近くに落下したのです。我々整備兵と搭乗員たちが行ってみると、パラシュートが木に引っかかっていました。米兵の体には大きな損傷はありませんでしたが、既に息はありませんでした。
わたしらは米兵の死体を木から降ろしました。その時、一人が何やら大きな声で叫びながら手を振り回してました。彼は手に一枚の写真を持ってました。
「こいつ、こんなもの持ってやがる」
彼はそれを皆に見せました。それは裸の白人女性の写真でした。といっても上半身だけのものです。わたしはそのむき出しの胸を見た時、しごい衝撃を受けました。米兵がそんな写真を持っているということよりも、まず裸の写真に衝撃を受けたのです。わたしは女の裸の写真というものをそれまで一度も見たことがなかったのです。
一瞬、戦場であることも忘れ、わたしは白人女の裸の写真に見入りました。最初は騒いでいた仲間たちも、みな押し黙ったように写真を見つめていました。
皆の手から手へ渡っていた写真が。宮部さんの手に渡りました。宮部さんも皆と同じようにしばらく黙って見つめていましたが、ふと写真の裏を見ました。宮部さんが裏をじっと見つめていた時、わたしが思ったのは、間抜けなことに「裏にもあったんか」ということでした。
宮部さんは写真を米兵の死体のポケットに入れました。
名前は忘れましたが一人の航空兵がそれをもう一度取ろうとして手を伸ばした時、宮部さんは「やめろ!」と怒鳴りました。しかしその男はかまわずポケットに手を入れました。その時、宮部さんが彼を殴りました。殴られた男も驚きましたが、殴った宮部さんの方が自分のしたことに驚いている感じでした。
「すまない」
宮部さんは泣くような声で言いました。
「どういうことだ!」
殴られた男は血相変えて怒鳴りました。
「写真は、この男の奥さんだった」
宮部さんは振り絞るように言いました。
「愛する夫へと書かれていた ── 恋人かも知れないが。出来たら、一緒に葬ってやりたい」
それを聞いた途端、殴られた男も黙ってしまいました。
それから宮部さんは彼にもう一度詫びると、一人で飛行場の方に戻っていきました。
わたしは死んだ米兵を見ました。まだ二十歳過ぎくらいの若い男でした。先程の写真の女の顔が強烈に思い出されました。恥ずかしそうな、どこかこわばったような笑顔でした。戦場に行く夫のために勇気を振り絞って撮った写真だったんでしょう。
しかしその夫はたった今、南太平洋の小さな島で死に、家で夫の帰りを待っている妻はまだそれを知らないでいる。そしてその写真は死んだ夫と共に島のジャングルに葬られる ──。
わたしは今でもこの時のことをよく思い出します。戦場では多くの死体を見ました。それこそ数え切れないくらい見ました。戦友の死体も、米兵の死体も。その多くは記憶の端からこぼれ落ちてます
しかしこの時のことはなぜか強烈に記憶に残っています。
あの後、本国にいる彼の妻は夫の死を知らされたことでしょう。不謹慎な話しですが、あの彼女の綺麗な乳房はその後、誰かに触られることがあったのだろうか、という想像もしてしまいます。こんなことを言うと、そいれは淫みだらな想像と思われるでしょうが、わたしにとってはそうではないのですわ。
愛する者を残して死んだ者にとって、それがどれほど切ないものか ──。 |