~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
狂 気 (五)
反攻する米機動部隊を迎え撃つ日本の機動部隊は、ミッドウェー以来の歴戦艦「翔鶴」と「瑞鶴」それに新造の大型空母「大鳳たいほう」お中心とする九隻の空母だった。もっとも正規空母はこの三隻のみで、あとは商船改造などの小型空母だ。一方の米軍は大型空母「エセックス」級がぞくぞくと投入されていた。偵察機の情報によると、敵の空母は十数隻ということだった。もう彼我の戦力差は比べるべくもないほどに広がっていた。ちなみにこの「エセックス」級の空母というのはとてつもなく強靭きょうじんくな空母で、日本海軍は終戦までついに一隻も沈めることは出来なかった。
しかし、たとえ敵兵力が多くともやらねばならない。それが戦争だ。
心強ったのは、「翔鶴」「瑞鶴」「大鳳」の第一航空戦隊に搭載された飛行機はいずれも最新鋭のものだったことだ。戦闘機は新型の零戦五二型、艦爆は彗星すいせい、艦攻は天山だった。もう旧式の九九艦爆や九七艦攻では戦えない状況になっていたから、これらの新型飛行機の存在は心強かった。特に彗星艦爆は敵戦闘機よりも速いと言われていたので、これは相当な戦力になると思われた。
それに新空母の「大鳳」は戦艦なみの四万トン級の大型空母で、飛行甲板には鉄板が敷かれ、五百キロ爆弾の急降下爆撃にも耐えうるというものだった。
「大鳳がミッドウェーにあれば、勝てたのになあ」
わしは「瑞鶴」の甲板から遠く「大鳳」を眺めながら宮部に言った。ミッドウェーでは四隻の空母はいずれも五百キロ爆弾で沈められたのだ。宮部は笑いながら言った。
「それは話しが逆だろう。ミッドウェーでやられたから、こういう空母を作ったんじゃないか」
「それはそうだな」
「俺はそれよりも防御力のある飛行機が欲しい」
その思いはわしも同じだった。防御板がないばかりにどれだけ多くの優秀な搭乗員が亡くなったか。たった一発の流れ弾で命を失うというのはあまりにも理不尽な気がしたものだ。
グラマンF6Fなどは七・七ミリ機銃だと百発くらい撃ち込んでもけろっとしている。クーパン基地にいる時に、一度撃墜したF6Fの残骸を見たことがあった。その時、鋼板の厚さにあきれたものだった。特に搭乗員の背中に設けられた分厚い防弾板は、七・七ミリ機銃では突き通せないほどのものだった。
米軍は搭乗員の命を本当に大事にするのだなあと感心した。
また米軍は空襲にやって来る時には、必ず道中に潜水艦を配備していた。途中、帰還がかなわず不時着水した搭乗員を救出するためだ。
その話を宮部とした時、彼は言った。
「墜とされてもまた戦場に復帰出来るということは、失敗を教訓に出来るということだ」
「俺たちは一度の失敗で終りか」
「それもあるが、彼らはそうした経験を積み、熟練搭乗員に育っていく」
「こっちは逆に熟練搭乗員が減っていくというわけか」
この頃、米軍の搭乗員の技量は開戦当初とは比べものにならないほどに上がっていた。加えて新鋭戦闘機のグラマンF6Fやシコルスキーの性能は零戦よりも上だった。彼らはその優れた戦闘機で無線を使って巧みな編隊空戦をやる。しかも数の上でも圧倒しているのだ。
翻って我が方の搭乗員はほとんどが飛行経験二年未満の若い搭乗員だった。その技量の低下は覆うべくもなかった。それが歴然としたのは、比島のタウイタウイ泊地で発着艦訓練を見た時だ。何と着艦失敗が相次ぐのだ。艦尾にぶつけるもの、甲板でひっくりかえるもの、勢い余って艦首から落ちるもの、発着艦訓練をやるたびに相当数の機体と搭乗員が失われた。たしか五十機以上の機体と同じくらいの搭乗員が亡くなったのではなかったか。発着艦の訓練だけで空母一隻くらいの戦力が失われたのだ。
「いったい、どうなってるんだ」
わしは搭乗員控室で宮部と二人になった時に言った。
「着艦も満足に出来ない搭乗員で戦争が出来るのか」
宮部は椅子に腰掛け腕を組んだ。
「おそらく、訓練期間を短縮して実戦にやって来たのだろう。この前、若い搭乗員に飛行時間を聞いたら、百時間と言っていた。百時間で空母への着艦は無理だ」
「百時間じゃ飛ぶだけで精一杯だぜ」
宮部は頷いた。わしは言った。
「俺たちが真珠湾に行った時は皆、千時間を超えていたぜ」
宮部は目を伏せて言った。
「つまりもう一航戦は昔とは全然違っているということだよ」
2024/11/25
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