ともあれ、こうして攻撃隊が発進した。
旗艦「大鳳」のメインマストには、前日Z旗が掲げられた。かつて東郷平八郎連合艦隊司令長官が日本海海戦の直前に掲げたという栄光の旗旒信号だ。今度の戦いでは、真珠湾攻撃以来、一度も掲げられたことがないZ旗が大きくはためいた。まさに「皇国の興廃この一戦にあり」だ。
われわれ搭乗員の気持もいやが上にも引き締まった。
こうして六月十九日早朝、まず第三航空戦隊から第一次攻撃隊が母艦を飛び立った。次に第一航空戦隊から第二次攻撃隊が発進した。わしはその第二次攻撃隊の彗星の直掩機だった。
この日、我が機動部隊からは六次にわたって攻撃隊が出撃し、その総計は四百機を超えるすごいものだった。これほどの攻撃隊はかつてない。真珠湾攻撃をはるかに超える規模だった。しかも航空機は零戦五二ごうにい型、彗星艦爆、天山艦攻と新鋭機が揃っていた。
ただ悲しいことにそれを操縦する搭乗員たちが真珠湾の時とは違っていた。それは発艦直後に明らかになった。何と密集隊形の美しい編隊が組めないのだ。もはや昔日の海軍航空隊ではなかった。
── 結果か。あなたの想像通りだよ。
敵は高性能の電探で我が方の攻撃隊を百浬も先から捉とらえていたのだ。しかも高度まで読みとっていたというから驚きだ。もっともこれらは全部戦後に知ったことだ。小澤長官以下参謀たちが米軍の電探の性能をどの程度まで知っていたのかは知らん。おそらく何も知らなかったのだろう。だがわしらは身をもって知らされた。
米軍は機動部隊の全戦闘機を邀撃隊として発艦させ、我が攻撃隊を待ち伏せていたというわけだ。アウトレンジン戦法で先制攻撃をかけるはずが、逆に奇襲攻撃にあったのは我々の方だった。
我が攻撃隊は高位から、倍以上の敵戦闘機に襲われた。わしはあやうく攻撃を逃れたが、列機はあっという間に火だるまになって墜ちていった。わしは何とかグラマンに喰らいつこうとしたが、一機を追尾すると、別の機に後ろから撃たれるといった具合で、敵を墜とすどころではない。
次々と我が軍の飛行機が墜ちていった。練度の低い操縦員たちは回避運動も出来ないまま、次々と敵戦闘機の餌食になっていった。
この時の戦闘を米軍兵士たちが何と呼んだか ── 「マリアナの七面鳥撃ち」だ。
七面鳥という鳥はよく知らんが、この鳥は動きが非常にのろく、これを撃つのは子供でも出来るくらい簡単なことらしい。米軍の戦闘機乗りにとって、この時の日本軍の航空機は七面鳥みたいなものだったのだ。
敵戦闘機の第一陣をくぐり抜けても、次に、第二陣があった。敵は何段にもわたって戦闘機隊を配備していたのだ。
結局、この邀撃ラインを突破出来たのは数えるほどだった。かなりの攻撃機が撃墜された。
わしはそれでも何機かの彗星艦爆を援護して、敵機動部隊上空までたどり着いた。彗星は速度があったから何とか突破出来たのだろう。しかし速度の遅い天山艦攻はおそらくほとんどが喰われたと思う。
敵艦上空まで来て、わしは戦慄せんりつを覚えた。大型空母が何隻も群がるようにいるではないか。十隻近くはあったと思う。日本海軍がこの海戦でつぎ込んだ正規空母が三隻。対する米軍はその三倍の大型空母を揃えていたのだ。リーチの差など関係あるもんか。重量級のボクサーに挑む軽量級のボクサーのようなものだ。
艦隊上空をものすごい数の直衛機が待っていた。わしは観念した。わしの運命もここで尽きると思った。どうせ死ぬなら、自分に機を犠牲にしても、艦爆に一発の命中弾を与えてやりたい。
わしは彗星艦爆に襲いかかる敵戦闘機にほとんど体当たりせんばかりに向っていった。わしの気魄に呑まれたのか、敵戦闘機の銃撃は彗星までは届かなかった。わしは彗星にぴたりと張りつき、敵戦闘機を追い払った。いざとばれば身代わりになってやる。
彗星が急降下に入るのが見えた。艦隊が猛烈な対空砲火を撃ち上げる。見たこともないものすごい弾幕だ。空が真っ黒に見えた。彗星はその中を勇敢に突っ込んでいく。頑張ってくれ、とわしは祈った。たとえ蟷螂とうろうの斧おのであろうと、一撃だけでもお見舞いしてくれ。敵かなわぬまでも一太刀浴びせてくれ!
しかし次の瞬間、信じられないものを見た。彗星艦爆が次々と火を噴いて墜ちていくのだ。米軍の対空砲火がまるで照準器つきの銃で狙撃するように彗星艦爆を撃ち墜としていくのだ。わしは墜ちていく彗星を呆然ぼうぜんと眺めていた。
結局、彗星艦爆はほとんど戦果を挙げられなかった。もうわしは何がなんだかわからなくなっていた。そんなわしにグラマンが襲いかかって来た。わしはもう本能だけで敵を回避した。反撃などとても出来ない。自分の身を守るのが精一杯だ。相手はまるでネコかネズミをいたぶるように次々と攻撃してくる。一機をかわせば次の一機という具合に。わしはただ敵弾を回避するのが精一杯だった。
ようやくのことで敵艦隊上空から逃れると、グラマンは追って来なかった。おそらく艦隊護衛の任務があったのだろう。執拗しつように追われていれば、確実にやられていただろう。
わしは母艦に帰ることにした。周囲に味方機は一機もいなかった。グアム島の基地に行くことも考えたが。あえて母艦に戻ることにした。この決断はわしの命を救った。
わしらの後に出撃した第三次攻撃隊は敵空母を発見することが出来ず、母艦に戻らずにグアムへ向かったのだが、グアム上空で待ちかまえていた敵戦闘機にほとんど撃墜されたのだった。
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