帝国海軍が総力を挙げた「マリアナ沖海戦」は、初日は航空機を三百機以上失い、虎の子の空母を二隻も失った。数時間でほとんどの戦力が壊滅したのだ。一方、米軍の損失は皆無に近かった。
二日目、今度は遁走する我が軍に向けて、米機動部隊が攻撃する番だった。おびただしい敵艦載機が我が艦隊に襲いかかった。わしも邀撃に上がったが、多勢に無勢でどうしようもなかった。爆撃機を撃墜すいるどころか、敵の戦闘機に墜とされないでいることに必死だった。何百機という敵の攻撃機を十数機の戦闘機で守れるはずもない。
この戦いで「瑞鶴」は爆弾を受けて小破した。「瑞鶴」が被弾したのは開戦以来初めてだった。しかし改造空母「飛鷹」と給油艦二隻を失っただけで、何とか逃げ切った。
わしは海上に不時着し、駆逐艦に救助された。宮部もどこかで駆逐艦に救助されたのだろう。
こいうして乾坤一擲けんこんいってきの大勝負をかけたマリアナ沖海戦で、連合艦隊は戦力の大半を失い、敵のサイパン上陸部隊を叩くことはまったく出来なかった。
この後、サイパンの日本陸軍はほとんど全滅し、民間人も犠牲になった。バンザイ岬では多くの日本人が身を投げて死んだ。戦後、崖の上から次々と落下する日本人の姿を映した米軍の映像を見た時、わしは涙が止まらなかった。「許して下さい」と心の中で何度謝ったか知れなった。
マリアナから内地へ戻った後、「瑞鶴」はドッグで修理に入った。わしら搭乗員たちは一旦各地の航空隊へ配属された。その際、少しばかり休暇を貰えた。宮部がその後、どこの航空隊へ行ったのかは覚えていない。しかし宮部との別れの際の会話は覚えている。
「家族に会うのは久しぶりだ」
と宮部は言った。
「谷川はどうする」
「俺は休暇は三日だし、岡山まで行って帰るだけで潰れてしまう。長い休暇が貰えた時に帰るよ」
宮部は少し考えていたが、
「想う人はいないのか」
と訊いた。
「女か」
宮部は頷いた。
「そんなものはいない。俺が会える女は慰安所の女しかない」
「故郷にはいないのか」
「いないよ」
わしはそう言って笑ったが、その時不意に一人の少女の顔を思い出した。
「一人いた」とわしは言った。「幼なじみの女の子だ。他愛もない子供の頃のことだ。もうとっくに嫁に行ってる」
そう言いながら、わしは少し寂しい気持がした。わしは二十五歳になっていたが、十五歳からずっと海軍で生きてきたのだ。海軍の他は何も知らなかった。それ以外の青春はなかった。
宮部との会話はそれだけだった。しかしこの会話がわしの人生を変えた。
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