~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
狂 気 (十二)
第一航空艦隊司令長官、大西瀧治郎がマバラカットに到着したのは、わしらの志願があった後だったと記憶している。
史実によれば、マバラカットに来た大西長官が特攻を発案し、関行男大尉を隊長に任命したことになっているが、それはおかしい。それ以前に、下士官一同に特攻志願をさせているからだ。大西長官の到着前に、特攻が行なわれることが決まっていたにちがいない。
それから間もなく特別攻撃隊の搭乗員が発表された。関大尉を隊長とする二十四人だった。
わしの名前がないと知った時はほっとした。志願したからには遅かれ早かれ特攻に参加することになるが、それがわかったいてもその時はほっとした。そしてそんな自分を嫌悪した。
選ばれた搭乗員に対しては何とも言えない気持だった。可哀想だとか不運だとかという見方は出来なかった。わかるかな。
彼らは顔色一つ変えなかった。彼らこそ本当の侍だった。自分なら果たしてそんなふうに振舞えるかと自問した。選ばれなかった多くの搭乗員が同じことを思っただろう。
大西長官は選ばれた特攻隊員を前に言った。
「日本はまさに危機にある。この危機を救える者は大臣でも大将でも軍令部総長でもない。もちろん自分のような長官でもない。それは諸子のごとき純真にして気力に満ちた若い人たちのみである。自分は一億国民に代わってお願いする。どうか成功を祈る。皆は既に命を捨てた神であるから、欲望はないであろう。ただ自分の体当たりの戦果を知ることが出来ないのが心残りであろう。自分はこれを見届けて、必ず上聞に達するようにする」
そして訓辞が終わると、台から降りて一人一人の特攻隊員の手を取った。
特別特攻隊は「神風特別攻撃隊」と名付けられた。カミカゼではない、その時は「しんぷう」と読んだ。もともしおれ以降は「かみかぜ」と呼ばれるようになったいたが。そして隊ごとに「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」という歌を由来にしたものだった。
同じ頃、連合艦隊では「捷一号」作戦が発令されていた。米軍の比島の上陸作戦を、連合艦隊が総力を挙げて阻止する作戦だった。
日本はもうぎりぎりまで追いつめられていた。
サイパンを陥とそうとした米軍が次の目標としたのは比島だった。比島が米軍の占領下に入れば、」南方との連絡が完全に絶たれてしまうことになる。そうなれば石油などの資源も途絶える。だから陸軍も海軍も比島は死守しおなければならなかったのいだ。」
連合艦隊は米軍の比島上陸部隊を叩くべく出撃した。
敵輸送船団を撃滅すること ── これが連動艦隊に与えられた使命だった。そのため連合艦隊はものすごいことを考えた。機動艦隊を囮として、米機動部隊を引きつけ、その間に戦艦「大和」と「武蔵」をはじめとする水上艦隊をレイテ湾に突入させ、敵輸送船団を一気に葬り去ろうというものだった。まさに肉を切らせて骨を断つという必死の作戦だった。
もっとも当時のわしら基地搭乗隊員は全体の戦況がどうなっているのかも何もわからず、ただ言われるがまま戦っていただけだった。
特別攻撃隊は、レイテ湾突入の水上部隊を側面より援護するためのものだった。米空母の飛行甲板を特攻で破壊すれば、艦上機の」発着は不可能になる。その結果、水上部隊は空からの攻撃を受けることが減り、レイテ湾への突入が容易になる。
我が方に航空機が十分にあれば、基地航空隊で水上部隊を援護し、あるいは米機動部隊を直接叩けるのだが、もはや日本の基地航空隊ではそうした大規模な攻撃は不可能だった。
こんな状況の中で特攻は生まれたのだ。
2024/12/04
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