~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
狂 気 (十八)
西日の入っていた応接室はすっかり暗くなっていた。
谷川が話していた数時間よりも、はるかに長い時間が経ったような気がした。話をしている時の谷川はまるで青年に見えた。輝きに満ちた精悍せいかんな若者の姿に見えた。しかし今、ぼくの目の前にいる谷川は車椅子に乗った一人のせこけた老人だった。
ぼくは谷川の細い腕を見た。今にも折れそうな腕だった。かつてこの腕が零戦の操縦桿を握り、大空に舞い上がって、戦っていたのだ。
六十年の歳月を思うと、なぜか胸が熱くなった。
谷川は静かに言った。
「今でも、わしがあの時ニコルス基地で見たことは実際にあったことなのかと思う時もある。もしかしたら、夢でも見ていたのかなと」
「祖父の特攻拒否のことですね」
「あれは命令ではなかったから抗命にはあたらないが、やはり一種の抗命だろう」
「抗命とは何でしょう?」
「命令に逆らうことだ。軍隊では死刑に相当する」
ぼくは唸った。祖父は何という男だったのだ。
「それにしてもわからないことがある。なぜ宮部が終戦の年、特攻を命じられて不時着しなかったかということだ。あの時、わしに不時着してでもいいから体当たりするなと言った本人が、なぜ体当たりしなかったのか」
谷川はそう言って腕を組んだ。
「レイテでは少なくない熟練搭乗員が特攻にやられたが、多分それは混乱の中で行なわれたからだと思う。また特攻ではなかったが、南少尉は小澤艦隊が出撃し、機動部隊を攻撃した後に、比島のエチアゲ基地にたどり着き、そこで過酷な特攻直掩任務につかされて亡くなった」
「実質、特攻のようなものだったのですね」
谷川は頷いた。
「あの時は、小澤艦隊から岩井勉少尉なども比島に飛んで来て、あわや特攻に出されるところだったと聞いている。しかし、二十年三月から始まった沖縄特攻では熟練搭乗員は出さなくなっていた。熟練搭乗員は教員や本土防衛に必要だったからだ」
「すると、特攻は若いパイロットが多かったのですか」
「特攻の大部分は終戦の年の沖縄戦だ。その時、特攻で亡くなったのは、ほとんどが予備学生や若い飛行兵たちだった。わしは熟練搭乗員を特攻に出すのは間違いだと思っている。もちろん熟練搭乗員も新人搭乗員も命の値は同じだから、予備学生だから出していいというののではない。しかしそれでも南さんを戦死させた上層部は許せない気持だ」
谷川は大きな声で言った。
卑怯ひきょうなのは、俺も後から往くと言って多くの部下に特攻を命じておいて、戦争が終わるというとのうのうと生き延びた男たちだ」
谷川は机を叩いた。灰皿が音を立てた。ぼくは驚いた。
「すまん、少々興奮した」
「いいえ」
谷川は胸ポケットから薬を取り出し、それを口に含んだ。姉が立ち上がり、部屋の中にある洗面所からコップで水を汲み、谷川に渡した。
「ありがとう」
谷川はコップを受け取ると、水で薬を流し込んだ。
それから、ややあって言った。
「わからないのは、なぜ宮部が不時着しなかったか ── 宮部の腕なら、やろうと思えばやれたはずだ」
「そんなことをした航空兵がいたのですか」
谷川は少し表情を曇らせた。
「接敵に失敗という理由や、発動機の不調という理由で戻って来る特攻員はいた」
「それって ──」
姉の言葉に、谷川は大きく首を振った。
「意図的なものであったかどうかはわからない ──。ただ、そうした搭乗員はいた」
部屋に沈黙が流れた。
ぼくは口を開いた。
「祖父は沖縄方面の海上で戦死したとなっています。もし、祖父の飛行機の発動機が不調であったなら、どこに不時着出来たというのでしょう」
「喜界島だ」谷川は即座に答えた。「南九州から飛び立った特攻機が発動機の不調で作戦遂行が無理となった場合は、そこに降りることになっていたはずだ」
「そうだったのですか」
「しかし、終戦直前は喜界島上空も敵の制空権下にあったから、さすがの宮部も、重い爆弾を抱えてはいかんともしがたかったのかも知れん」
ぼくは頷いた。
「いずれにしても、六十年も前のことだ。真相はわからない」
谷川は大きなため息をついた。それから手を伸ばして壁のスイッチを押し部屋の蛍光灯をつけた。暗かった部屋が明るくなった。
谷川はおもむろにポケットから一枚の写真を取り出した。
「家内の写真だ。五年前に亡くなった。あれはよく尽くしてくれた。復員して故郷に戻った時、加江はわしの姿を見て、大きな声で泣いた。あれは気の強い女手、泣いたのは後にも先にもその時だけだった」
谷川は妻の写真を見ながら、うっすらと目に涙を浮かべた。
「宮部のあの時の言葉がなければ、あれとは夫婦になっていなかったかも知れん」
「愛し合っていらしたのですね」
姉の言葉に、谷川は深く頷いた。
「子供は出来なかったが、幸せな人生だった」
2024/12/15
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