「実は、ぼくも軍隊について調べて気づいたことがある」
「何?」と姉は聞いた。
「姉さんも言ってたけど、日本海軍の高級士官たちの責任の取り方だよ。彼らは作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった。ミッドウェーで大きな判断ミスをやって空母四隻を失った南雲長官しかり。マリアナ沖海戦の直前に、抗日ゲリラに捕まって重要な作戦書類を米軍に奪われた参謀長の福留中将しかり。福留中将は敵の捕虜になったのに、上層部は不問にした。これが一般兵士ならただではすまなかったはずだ」
「兵士には、捕虜になるなら死ねと命じておいて、自分たちがそうなった時は知らん顔するのね」
「高級エリートの責任を追求しないのは陸軍も同じだよ。ガダルカナルで馬鹿げた作戦を繰り返した辻政信も何ら責任を問われていない。信じられないくらい愚かなインパール作戦を立案して三万人の兵士を餓死させた牟田口中将も、公式には責任は散らされていない。ちなみに辻はその昔ノモハンでの稚拙な作戦で味方に大量の戦死者を出したにもかかわらず、これも責任は問われることなく、その後も出世し続けた。代わって責任は現場の下級将校たちが取らされた。多くの連隊長クラスが自殺を強要されたらしい」
「ひどい!」
「ノモハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のガダルカナルの悲劇はなかったかも知れない」
姉が悔しそうに顔を歪めた。
「でもどうして責任を取らされないの?」
「そのあたりはよくわからないんだけそ」とぼくは言った。
「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」
姉は頷いた。
「そうか ── 責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね。仲間の失敗を追求すれば、自分が失敗した時に跳ね返ってくるってわけね」
「それはあったと思う。インパール作戦で牟田口の命令に反して兵を撤退させた佐藤幸徳師団長は軍法会議にかかられず、心神喪失ということで、不問にされた。軍法会議を開けば、牟田口総司令官の責任問題に及ぶ。だから牟田口をかばうために、佐藤師団長の気がふれたことにして、軍法会議は行なわれなかったんだと思う。更に言うと。軍法会議になると。牟田口の作戦を認めた大本営の高級参謀たち、つまり自分たちにも責任が及ぶからだ。ちなみに牟田口のインパール作戦を認めた彼の上官、河辺中将は大将に昇級している」
「最低ね」姉は呟いた。「そんな人たちのために、一般の兵士たちは命を賭けて戦わされたのね」
「責任の話のついでに言うと、真珠湾攻撃の時、山本五十六長官が『くれぐれもだまし討ちにならぬように』と言い残して出撃したにもかかわらず、宣戦布告の手交が遅れて、結果的に卑怯な奇襲となってしまった原因は、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢だったって伊藤さんが話したことを覚えてる? あの後、気になって調べたら、戦後、責任者は誰もその責任を取らされていない」
「たしか上の人たちって、パーティーか何かしてたのよね」
「そう、送別会で飲みまくって、翌日の日曜日に遅れてやって来たんだ。前日に外務省から『対米覚書』という十三部からなる非常に重要な予告電報が送られていたにもかかわらず、それをタイプすることもしないでパーティーで遊んでいたんだ。翌朝届いた宣戦布告の電報を見て、慌てて『対米覚書』からタイプにとりかかったが、遅れに遅れて、それをハル国務長官に手交したのは真珠湾攻撃開始後だった。宣戦布告の電報だけなら、わずか八行だったのに」
「懲戒免職もののミスね」
「それ以上だよ。そのミスのせいで『日本人は卑怯な騙だまし討ちをする民族』という耐え難い汚名を着せられたんだ。それがぢおれほど大きいものか、たとえばアメリカには原爆を使用したことに関して『卑怯な日本に当然の仕打ちだ』という主張があるんだ。9・11の時も、アメリカのマスメディアたちは『このテロは真珠湾と同じだ!』と言ったらしい。日本という国にこれほどの汚辱を与えたにもかかわらず、当時の駐米大使館の高級官僚は誰も責任を問われていない。あるキャリア官僚はノンキャリアの電信員のせいにしようとした。前日『泊まり込みましょうか』と申し出た人をだ。それを『不要』と帰らせた男が、戦後、彼に責任をなすりつけようとしたんだ」
姉はため息をついた。
「結局、当時の高級官僚は誰も責任を取らされていないばかりか、何人かは戦後、外務省の事務次官にまで上り詰めている。もしこの時、彼らの責任をしっかりと問うていれば日本人の『卑怯な民族』という汚名は雪そそがれ、名誉は回復されたかも知れない。アメリカ人も『あれはだまし討ちではなかったのだな』と理解したはずだよ。しかし今に至るも外務省は公式にミスを認めていないから、国際的には、真珠湾奇襲は日本人のだまし討ちということになっている」
姉は頭を押さえた。
「日本って、何て国なの?」
その問いには答えようがなかった。姉も答えを期待して言ったわけではないだろう。ぼくは言った。
「軍隊や一部の官僚のことを知ると暗い気持ちになるけど、名もない人たちはいつも一所懸命に頑張っている。この国はそんな人たちで支えられているんだと思う。あの戦争も、兵や下士官は本当によく戦ったとおもう。戦争でよく戦うことがいいことなのかどうかは別にして、彼らは自分の任務を全うした」
「みんな国のために懸命に戦ったのね」
姉はそう言って真っ暗な窓の外を眺めた。ガラスに映るその顔は険しい表情だった。そしてぽつりと呟いた。
「あの片腕を失った長谷川さんにしても、胸の奥深くには報われなかった悔しさがあったと思う」
「国を恨むことが出来ないので、おじいさんに憎しみを転嫁したんだろうね」
周囲の人々もまたあの人に対して冷たかったんだと思うわ。腕を失くした彼に対して、その苦労に謝するよりは、職業軍人の自業自得だろいうという目で見ていたのかも知れない」
ぼくは頷いた。
「だから、あの人がおじいさんのことを悪く言っても許してあげて」
「わかってるよ」
姉は初めて少し笑顔を見せた。しかしすぐに表情を曇らせた。
「でも、日本の軍隊の偉い人たちは、本当に兵士の命を道具みたいに思っていたのね」
「その最たるものが、特攻だよ」
ぼくは祖父の無念を思って目を閉じた。
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