~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
桜 花 (四)
ただただ宮部教官は言葉遣いの丁寧さとは別に、非常に厳しい教官でした。というのはなかなか私たちに合格点をくれない教官として有名でした。他の教官だと十分に合格点をくれるのに、宮部教官は「不可」をつけることが非常に多かったのです。
私も含め何人かの予備学生には評判はありませんでした。
「戦地帰りの目から見れば、俺たちの飛び方などまだまだヒョッコロと言いたいのだろうけど、ありゃ戦地風を吹かすよりもたちが悪いぜ」
「俺たちが士官候補なのが気に入らないのだろうが、こんな形で嫌がらせすることはないだろう」
私も宮部教官のやり方には、何か意固地ものを感じました。誰かが言ったように、自分が十年以上かかってやっとなれた少尉という階級に、予備学生たちが何の苦労もなしになるということに対して、面白くない気持があるのかあなとも思いました。その気持は理解出来ますが、私たちのせいではありません。」
宮部教官が来てから、私たちの教程のペースがぐっと落ちました。それである日、予備学生何人かが、先任教官に訴えました。
その翌日、私たちは宮部教官から旋回訓練を受けましたが、教官はまたしても全員「不可」をつけました。大半に不可をつけるならまだしも、全員に不可をつけるのはあまりにもあからさまな嫌がらせでした。
私たちは再び先任教官に訴えました。しかし宮部教官の態度はがんとして変わりませんでした。彼は徹底的に不可をつけ続けました。これには私たちも「敵ながら天晴れ」という気持がしました。この教官は案外骨のある男ではないかと思ったのです。しかしやがて宮部教官は教官を外されました。
ところが教官の数が足りず、宮部さんはまもなく教官に復帰しました。ただ宮部教官は飛行訓練を教えるものの、実技の可否をつけることは他の教官が行なうことになりました。おそらく上官の命令だったのでしょう。
これには宮部教官もこたえたようです。それはそうでしょう。学生に可否をつけることの出来ない先生というのは先生ではありません。宮部教官は大いに誇りを傷つけられたことでしょう。これ以降、私たちに対する教え方は以前に増して丁寧になりました。私たちは内心「ざまあみろ」という気持でした。
ただ、宮部教官が「上手くなりました」と言う時は露骨に嫌そうで、その表情は私たちをいらいらさせました。
ある日、私は旋回の訓練を終えた時、宮部教官から「上達しました」と言われましたが、その顔は心から言っていないことが明らかでした。その日は自分でもまずまずの出来だったので、私は思わず言いました。
「宮部教官は、わたくしが上手くなるのが不満なのでしょうか?」
宮部教官は驚いた顔をして答えました。
「そんなことはありません。そう見えたなら、不徳のいたすところです」
宮部教官はそう言って深々と頭を下げました。その態度にも私は慇懃いんぎん無礼な印象を持ちました。
「本当にそう思っているなら、もっと嬉しそうな顔をして言ってくれてもいいじゃないですか」
教官は黙っていました。
「それとも、本当は下手糞と思っているんですか」
それでも宮部教官は答えませんでした。
「どうなんですか。それともただの嫌がらせですか」
その時、宮部教官は言いました。
「正直に言いますと。岡部学生の操縦は全然駄目だと思っています」
私は顔が赤くなるのがわかりました。
「何をもって ──」
私はそう言うのがやっとでした。
「岡部学生が今戦場に行けば、確実に撃墜されます」
私は言い返そうとしましたが、一言も言い返せませんでした。
「わたくしが皆さんに不可をつけ続けたのは嫌がらせなどではありません。わたくしは戦場で多くの搭乗員が命を失うのを見てきました。わたくしよりも腕のある古い搭乗員も数多く撃墜されました。零戦はもう無敵の戦闘機ではありません。敵戦闘機は優秀で、しかも数の上で我が方を圧倒しています。戦場は本当に厳しいものなのです。わたくしが戦地風を吹かしていると思われますか」
「── 思いません」
「マリアナでもレイテでも、多くの若い搭乗員が十分な訓練を積めないままに実戦に投入されました。そうしてそのほとんどが初陣で戦死しました」
淡々と話す宮部教官の言葉に、私は何も言えませんでした。
「飛行隊長にもそのことを言いました。しかしわかってもらえませんでした。逆によほどのことがなければ合格点をつけるように命ぜられました。とにかく今は搭乗員が足りない、だから一人でも多くの搭乗員が欲しい、と」
私は頷きました。
「皆さんのような優れた人たちを教えていて、わたくしの正直な気持は、皆さんは搭乗員などになるような人たちではない、ということです。もっと優れた立派な仕事をするべき人たちだと思います。わたくしは出来ることなら、皆さんに死んで欲しくありません」
あの時の宮部教官の言葉は、戦後ずっと私の心の中に残っていました。仕事で苦しい時、いつもあの時の宮部教官の言葉を思い出しました。
「生意気なことを言いました。申し訳ありません」
宮部教官はそう言って頭を下げると宿舎の方へ帰っていきました。
私は自分を恥じました。浅ましい精神で宮部教官を推し量った自分を許せない気持でした。
2024/11/28
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