~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
模 索 (四)
今西がミュージック・コンクレートなるものを知りたいと思ったのは、今朝、新聞であのヌーボー・グループの関川という男が、同じグループの和賀という男の音楽を批評したのを読んだからである。
今西は、それまで特別にヌーボー・グループに、注意を払っていなかった。ただ、自分たちが東北からの帰りがけに、偶然、羽後亀田駅で一緒になったという因縁だけで多少の興味があったおいうにすぎない。
しかし、死んだ宮田邦郎があの亀田に行っていたという推定がはっきりしてきた今は、ちょっと事情が違った。今西が亀田に出張したとき、同じ土地にロケット見学に来ていたヌーボー・グループに今度は別な意味が加わったのだ。
もとよりそのフループと、宮田邦郎の「演技」とに関係があるとは思われない。しかし、とにかく、今西は、今朝の新聞の話題になっているミュージック・コンクレートなる音楽を知りたいと思った。
もっとも、それもぜひにということではなかった。忙しいときだったら、そんなものを調べるつもりはなかった。だが、このところ事件がなく、体が暇なので、つい百科事典などを覗き込みたくなったのだ。
それにしても、宮田邦郎は、何の目的で、あんなところに行って、うろつかなければならなかったか。これが世田谷からの帰り、吉村と二人で話し合った疑問だった。
夕方になった。吉村から電話がかかって来た。
「今西さん、先ほどは失礼しました」
吉村ははずんだ声で言った。
「あのとき、宮田が、なぜ、亀田に行ったか二人で考えましたね。ぼくには、やっと見当がつきましたよ」
「ほほう、そりゃあ、聞きたいね」
「ぼくは、蒲田殺人事件当時の新聞を繰ってみましたよ。すると、事件が起こって三四日ごろ、新聞にぼつぼつとカメダと東北弁のことが出ているんです。つまり、犯人と被害者らしい者が、あの駅前の安バーで、東北弁みたいな言葉を話し、カメダという名前が出たので、警視庁ではこの点を重視している、と、記事にはあるんです」
「なるほど、それで?」
今西は唾をのんだ。
「この新聞記事が、宮田の亀田行きになったと思うんですよ。つまり、カメダと東北弁のことが捜査本部に問題となっていおるので、ホシとしては、いずれ東北のカメダが捜査当局の注意を惹くと考えたのだと思います」
「なるほど」
今西はうなずいた。
「そこまでは気がつかなかったなァ
「そうなんです、ぼくも同じでした」
吉村の声はやはりはずんでした。
「ホシは早晩、警視庁の注意が東北の方へ向かい、そこで亀田という地名があるのを発見して、それに捜査が向かうものと予想したと思います。ホシとしては、その方に捜査の目を引き寄せるという狙いがあったんじゃないでしょうか?」
「それは凄い」
今西は電話口で叫んだ。
「そうだ、そうかも知れないぞ」
「ですから」
吉村も今西に賞められて声が上ずっていた。
「亀田に、何かのカタチが残っていなければいけなかった。警察の注意が、もっと亀田に向かうには、そこに妙な現象が起こっていなければならなかった。ホシは、そう考えたと思うんです。それが、宮田扮する“妙な男”の出没となって、亀田の土地の警察の耳にはいってと思うんです。つまり、あれは犯人のこしらえた手品だと思うのですよ」
今西はうなった。
「そこまでは考えつかなかった。するとホシは?」
「そうです。ホシは東北の人間ではありません。別なところです」
「では、宮田邦郎の役は?」
「むろん、ホシに踊らされたのです。おそらく彼は事情を知らずにその役を引き受けたのです」
「すると、ホシは宮田と知合いだったというわけか」
「もちろんです。彼は、そんなことを頼まれたのですから、よほどの昵懇者だったと思います」
「ありがとう」
今西は思わず吉村に礼を言った。
「それは、いいところに気がついてくれた。よく、それを考えてくれたな」
「いや」
電話の吉村の声は照れくさそうだった。
「ふいと、偶然に思いついたのですよ。それをそのまま今西さんにお伝えしただけです。まだ、ぼくもよく考えていませんから、間違っているかも知れません」
「いや、それにしても、ぼくには、たいへん参考になった」
「それを聞いてぼく嬉しいです。いつか、またお会いして、このことをゆっくり話しましょう」
電話は切れた。
2025/05/09
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