~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
模 索 (五)
今西は背を屈めて、机の引出しから半分に切った煙草を取り出し、古びた竹細工のパイプにつぎ足してマッチをすった。
そのパイプは、三年前、妻と一緒に江ノ島に行ったとき買って来たものだった。彼は、吉村が電話で言った内容を、煙を吐きながら考えていた。
宮田邦郎が亀田に行った理由はわかった。おそらく、それは吉村が推定したとおりであろう。
すると、犯人についての想像がある。一つは、犯人が絶えず蒲田殺人事件に注意していたこと。次に宮田をその引きつけ役に使うからには、宮田とよほど親しい友人であったということ(ただし、この場合、宮田は、自分のやる演技のほんとうの意味を知らなかった)。最後に、犯人は東北の人間ではなく、別な地方の人間であったということ。
事実を隠すには、それと全然逆な方向に人の目を向けさせるのが常識だ。
この場合、犯人が別な地方人だからこそ、東北の方に捜査の目を向けさせたといえる。
もう一つは、宮田の死である。
宮田は、最近になってほんとうの事実を知ったのではあるまいか。彼は、そのことを今西に話したかったのであろう。だが、それをすぐ言うには重大すぎた。彼が一日の猶予を求めたのは、そのせいである。
今西が宮田に求めたのは、自殺した成瀬リエ子についてだったが、宮田は成瀬リエ子のことを打ち明けるのに関連して、その重大なことも打ち明けたかったのではあるまいか。
今西は、考えながら紙の上にメモをとった。それは、①②③④というふうに項目を分けた。
彼は額に手を当てて、自分の書いたメモにじっと見入った。それから更に深いところまで考え込もうとした。
だが、この場合、もっとも障害になるのは、宮田の死である。
彼の死は殺人事件ではなかった。もし、それが他殺だったら、犯人への手がかりを求めることが出来る。だが、これは厳とした自然死なのだ。
解剖までやっている。そして、心臓麻痺に間違いないのイだ。宮田がふだんから心臓が弱かったことは周囲の人たちも知っていたし、経験の深い監察医が証明したことだった。
今西の不審は、ただ、この俳優の死があまりにも時間的に合いすぎるということだった。だが、これも偶然と言ってしまえばそれまでだ。まさに監察医が言ったように、心臓麻痺は、時を選ばず、ところを選ばずして起こる。
次に大事なのは④の項目(犯人は東北の者ではない)というところだ。今西の頭にはさまざまな思考が錯綜した。彼は東北とは全く反対の、島根県仁多郡仁田町亀嵩が浮ぶ。
東北弁とよく似た言葉を使う地方だ。今年の暑い最中今西が長い記者の旅で踏んだ土地だ。
だが、そこには何があったのか。
何もありはしなかった。
犯罪の根源と思われるようなものの欠片も得られなかった。
もう一つ、②の項を見た。成瀬リエ子のことである。彼女のことに関して、彼は何か重大な事をしゃべろうとした。そうだ、成瀬リエ子が犯人から頼まれて、血染めのスポーツシャツを中央線にばらまいた。このことでもわかるように、彼女と犯人とは特別な関係にあり、さらに宮田邦郎がそれを知っていたということにもなる。
宮田の死は今西に打撃だった。なぜ、彼はこんな重大な時に死んでしまったのか。
彼の死が自然死であることには疑いをいれないが、その時間からみてあきらかに自然のなせる「他殺」であった。
2025/05/09
Next