~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
模 索 (八)
今西栄太郎が、川口の妹のところへ行ったのは、その翌る日だった。
二年前に建てた家で、外は、モルタル塗になっている。建坪は二階をいれて五十坪ばかりで、それを八室に区切ってアパートにしていた。
玄関を入ると、二階へ上がる階段がすぐドアから右手についている。階下は、真ん中に廊下があって、部屋が両側に分かれていた。妹の部屋は最初の右側だった。
「あら、兄さん、さっそくね」
妹は今西の顔を見て、びっくりしていた。
「ああ、ついそこの赤羽まで来たからね」
「まあ、そう。昨夜はお邪魔さまでした」
「庄さんは会社かい?」
義弟のことをきいた。
「ええ・・・。いまお茶をいれます」
「こんな物を買ってきたよ」
今西はケーキの入った包みを出した。
「ご馳走さま」
「ちょっと待ってくれ」
「何ですの?」
「昨夜、おまえが話していた、ほら、ここにいる女給さんのことだよ。ちょっとおれにさりげなく会わせてくれないか」
「いやに熱心なのね。何か事件の心当たりなの?」
「うむ。いや、何でもないが、ちょっと知らん顔で会ってみたい。おまえは、兄が警察に出ているなどと言っていないだろうな?」
「そんなこと、言うもんですか。兄貴が刑事ですt言うと、みんな気持悪がって部屋を逃げ出すわ」
「おいおい、そう追うなよ。これでも、人はいいんだからな」
「それはそうだけど。でも知らない人は兄さんの職業を聞くと、気味が悪いように思うのよ」
「まあいい。とにかく、その女給さんをここに呼んでくれ。お茶でもはいったと誘うと、来てくれるだろう。まだいるかい?」
「ええ、今が二時ですから、お洗濯か何かしているところだと思います。銀座に出て行くのが五時ごろですからね」
「よしきた。おれが鉄瓶のほうをみてるよ」
今西に押し出されるようにして、妹は部屋を出て行った。
その間、今西はちょと落ちつかなかった。彼は自分のすわる場所を二度も変えた。
ほどなく廊下に二人ぶんの足音が聞こえた。
「兄さん、お連れしましたよ」
妹の後ろには、クリーム色のセーターを着た若い女が従っていた。
「さあ、どうぞ」
今西は、できるだけ顔を和らげて愛想よく招じた。
「兄ですの。今日久しぶりに来ましたの。ちょうど、お茶をいれたところですから」
「すみません」
若い女は、素直に部屋に入って来た。そして、いつもお世話になっています、と挨拶した。
「さあ、どうぞ。こちらこそ妹が厄介になっています」
今西は、笑っている目から、じっと女給の顔を観察した。
「お仕事の方は、お忙しいんですか?」
今西は妹の止宿人に、笑いかけながら聞いた。
「いいえ、そうでもありません」
女給は、かわいい顔をしていた。二十四五だが、頬のあたりに幼い線が残っている。
「たいへんですね。今から出勤ですか?」
「ええ、もう少しして出かけます」
「夜、遅くなるのでは、帰りが大変ですな」
「ええ、でも、もう慣れましたから」
「こちらに移ってらっしゃる前は、どこにお住まいでしたか?」
「あの・・・・」
恵美子は、返事を瞬間に躊躇した。それは一度言いかけたが、あわてて急に考えた様子だった。
「あの・・・いろいろと移りましたから」
「なるほど。やはり、銀座の方の便利を考えたからでしょうな。ここに来られるすぐ前の家は便利でよかったですか?」
「あの・・・、麻布の方でしたわ」
「麻布ですか。あの辺はいいとこですね。銀座にも近いし・・・」
「でも、借りているアパートに事情が起こって、よそにお売りになったんです。それで、こちらに移ったのですわ。ここからでも、電車ではそれほど時間がかからないから、思ったより便利です」
「ほんとうですわ」
と、横から妹が口を入れた。
「川口というと、東京の人は、ずいぶん遠方のように思われますけれど、かえって東京の郊外よりは、ずっと近いんですよ。電車で都心まで三十分しかかからないんですもの」
「しかし、なんですな」
と、今西は何となくお茶を飲みながらつづけた。
「終電車に乗り遅れることもあるでしょう?」
「そんなことはめったにないんです。ママさんもわたしがこちらだと知っているものですから、なるべく、終電には間に合うように早く帰してくれるんです」
「そうですか。しかいs、酔っぱらいの客にねばられているよいうなときは困るでしょうね?」
「ええ、そういうこともあります。でも、そんな時は、友だちがさりげなく代わってくれますから」
「そうですか。どうです、近ごろのバーのお客さんの様子は?」
「うちの店は、わりとおとなしい方ばかりいらっしゃいます。それで助かるんですけど」
「ぼくは、そんなところに行ったこともないし、また、行くだけの金もないのでよくわからないが」
と、今西は苦笑しながら言った。
「なんだそうですな、近ごろのバーでもキャバレーでも、社用族でないとモテないそうじゃありませんか?」
「いいえ、そんなこともありまえんわ。でも、社用さんだとお金の方が確実だから、経営者も歓迎するんです。普通の人だとやはり掛が多くなり、その集金が大変ですわ。それがみんな係の女給の責任になりますから」
「なるほどね。お酒を飲んだり、おもしろおかしく話の相手になっていても、なかなかそういう面でむずかいいですな
2025/05/10
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