~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
模 索 (九)
「おい」
今西は妹を呼んだ。
「なかなかいい女給さんだな」
「そうでしょう」
妹は、今西の横に坐った。
「おとなしい娘ですよ。銀座のバーの女給だとは思えませんよ」
「そうだな。しかし、あれは、関川という人にずいぶん好意を持っているよ」
「そうですね。わたしも、それは感じましたわ」
「店にときどき来る客だと言っていたが、どうも、それだけではないように思う」
「あら、そうかしら」
「おまえ、気がつかなかったか?」
「何でっすの?」
「あの女給さん、妊娠しているよ」
「え?」
妹は、びっくりした目で兄の顔を見返した。
「おれにはそんな感じがするが、違うかな?」
妹は、すぐに言葉に出さないで、呆れたように兄の方を向いたままだった。
「兄さん」
と、妹は軽い溜息をついて言った。
「よくわかるのね、男のくせに」
「やっぱり、そうか」
「ご本人は何も言わないけれど、実は、わたしもそうじゃないかと思ってたの」
「そうか」
「兄さん、どうしてわかったの?」
「そりゃあ、なんとなくそんな感じがしたからさ。はじめて見た顔だが、ちょっと、きつい表情だった。おれは想像したんだが、あのひとは、ふだんは、もっとやさしい顔じゃないかな。それに、みかんをみんな食べてしまったよ。おれは酸っぱくて食べられなかったが」
「ほんとだわ。まだみかんは甘味がないのにね」
「おまえにも心当たりがあったのか?」
「ないことはないわ。あのひと、いつか、自分の部屋で吐いていたようだったわ。わたしは、その時は、なにか食べ物に中毒ったのかと思っていたのだけれど、その後も、少し様子がおかしいの」
「そうか」
「ねえ、お兄さん、いったい、だれの子でしょう。やっぱり、ああいう商売ですから、バーに来る客の胤をやどしたのかしら?」
「さあ」
今西は、煙草を吸いながら、思案顔をしていた。
「その、関川さんという人がおかしいんじゃない?」
妹が言った。
「そんなことが、こっちにわかるもんか」
と、兄は少したしなめるように言った。
「めったなことは言えないよ」
「それはそうだけど、ここだけの話だわ」
それからしばらくすると、部屋の表で軽くノックの音が聞こえた。
いま、噂になっていた恵美子が外出着に着替えて、廊下に膝をついていた。
「それでは、行ってないります。どうも失礼いたしました」
と、今西に挨拶した。
「いや、こりゃあどうも」
今西は坐りなおした。
「ご苦労さまです」
「気をつけて行ってくださいね」
妹が言葉を添えた。
恵美子をそこで見送っていた妹が、兄を振り返った。
「そんな目で見るせいかも知れないけれど、やっぱり、そうらしいわね」
2025/05/11
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