今西栄太郎がめずらしく早く家に帰ると、奥で川口の妹の声がしていた。
この間、妹の家に行ってからいつの間にか、一ヶ月経っている。声の調子から、今日も夫婦喧嘩で妹が来たのでないことがわかった。
「お帰んなさい」
妻が玄関に迎えた。
「お雪さんが来ていますよ」
今西は黙って靴を脱いで上がった。
「兄さん、お邪魔しています」
妹は兄を見上げた。
「うん、このあいだは、こちらが邪魔したな」
妻に手伝わせて洋服を脱いだ。
「そのことで今日は来たんですが」
「何だい、そのことというのは?」
「兄さんが聞いていたあのバーの女が、急に家から引越したんですよ」
「なに?」
今西はほどきかけたネクタイの手を止めた。
「引越した、いつだい?」
思わず鋭い目つきになっていた。
「昨日の午後です」
「昨日の午後? もういないのか?」
「ええ、わたしも驚いたわ。昨日の午後になって急に言い出すんですもの。あんな引越しってないわ」
「で、どこへ移った?」
「本人は、何でも、千住の方に越すとか言ってましたけど」
「千住はどこだ?」
「それが、詳しく言わないんです」
「ばか」
今西栄太郎は妹を思わず叱った。
「そんなことを、今ごろ言って来る奴があるか。どうして、すぐ本庁の方にいるおれに連絡しない?」
「そんなに、あの女が大事だったんですか?」
妹は、あんがいそうな顔をした。
「おまえにはわからん。今ごろ言ってくるよりも、引越し最中に言って来てくれた方が、どれほど役に立ったかしれない。それに、その行先もわからないでは、どうなるんだ?」
「それなら、前もって言ってくださればいいのに」
妹は兄にどなられて不服そうな顔をした。
「そんなことを、ちっとも聞かないもんですから、つい話すのもあとでいいかと思って・・・」
妹のこぼすのももっともだった。しかし。まさか、ふた月で移転するとは、今西も考えてもいなかった。
「運送屋はどこだ?」
「さあ」
妹は、それも気にとめていなかったらしい。
「しようのない奴だな」
今西は、ゆるめかけたネクタイをまた締めた。
「おい、上着だ」
「あら、また、どこかへお出掛け?」
妻はびっくりして見上げた。
「これから、すぐ、こいつの家に行く」
「まあ」
妻と妹は顔を見合わせた。
「いま、晩の支度にかかったところですよ。お雪さんも来たばかりですから、もっと、ゆっくりしておゆきになったら?」
「急ぐ。おい、雪」
今西は妹を促した。
「おれと一緒にすぐおまえの家へ行こう。その引越した女の行先を突き止めるんだ」
「あのひと、何か悪いことをしたんですか?」
妹は、目をむいた。
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