今西栄太郎は、川口の妹の家に行った。
妹は、恵美子が、何か悪いことをしたのかと、しきりに兄に聞く。兄がわざわざ一緒に家まで来るくらい熱心だったからだ。
「いや、別に悪いことをしたというのではない。だが、ちょっと、気にかかることがあるんだ。後になって探すよりも、今だったら、その引っ越し先の手がかりがつかめるかも知れないからな。彼女の部屋はどこだい?」
妹は、今西を二階へ連れて行った。
二階は五部屋に分かれているが、恵美子のいたところは一番奥だった。
妹が戸をあけて電灯をつけた。借主が引越したばかりの部屋はガランとしている。西陽の射す部屋で、畳が赤くなっている。調度を置いた跡だけが色が違っていた。
部屋には何も残っていなかったが、恵美子が不用のものを押入れの隅に固めていた。化粧品や石鹸の空箱、古新聞の畳んだもの、古雑誌、そんなものが積まれてあった。
それだけが、去った人の、この部屋に残した唯一のものだった。
掃除はゆきとどいている。昨日の午後、引越したというのだが、後の始末はキチンとしてあった。
「おとなしい、いい娘でしたがね」
妹は、兄に言った。
「女給さんだと聞いた時は、もっと、だらしない人かと思っていたんですが、普通の人よりきれい好きなんです」
妹は、もっといてほしかったという口吻だった。
今西は、古新聞や雑誌を畳の上にひろげた。別に変わったところはない。古い雑誌は、わりにインテリが読む総合雑誌だった。
今西は、その一つをとって、パラパラと繰った。それから、目次を開いてざっと目を通していた。
ほかの雑誌も手に取った。やはり、目次面を開いて目を通す。彼はうなずいた。
次に、化粧品や石鹸の空箱を開いて見た。中身は古い包み紙などで、きれいに畳んでしまってある。これも、恵美子の几帳面さを語っていた。
今西は、そんなものをひろげているうちに、箱の隅からマッチ箱を見つけて取りあげた。
バーのマッチだった。今西は、レッテルについている名前を読んだ。
“クラブ・ボヌール”とある。
「ここだね、勤めていたところは?」
今西は、妹に、黒地に黄色く名前を抜いた、そのマッチを見せた。
「そうかも知れませんね、わたしには何も言わなかったけれども」
今西は、その空マッチをポケットに入れた。
ほかには、別に発見はなかったらしく、そのままにした。
「昨日の午後、引越した時、荷物を受け取りに来たのはどこの運送屋だい?」
「さあ、それが・・・。気がつかなかったわ」
「しかし、おまえ、運送屋を見たんだろう?」
「ええ、それは見たわ。だって、男の人と二人で、この部屋から、オート三輪車に荷物を運んでいたんですからね」
「この近所の運送屋はどこだ?」
「駅前に二軒あるけど」
今西は二階からおりた。それから玄関で靴をはきはじめた。
「あら、兄さん」
妹は、びっくりしたように言った。
「もう帰るの?」
「ああ」
靴の紐を締めながら返事した。
「せっかくですもの、お茶でもあがってらっしゃいよ」
「そうもしていられない。また、ゆっくり来るよ」
「ずいぶん、急ぐのね」
今西は、靴の紐を結び終わって腰を伸ばした。
「ねえ、兄さん、三浦さんが」
と、妹は恵美子の姓を言って、
「また家に来るようなことがあったら、いろいろ聞いておきましょうか。そんなに気にかかるようだったら」
「うむ」
今西は気乗りのしない顔をしていた。
「もう、ここへは来ないだろうな」
「そうかしら?」
「あの女は、おまえの兄貴が警視庁に勤めていることを知ったのだ。だから、急いで引越したのだよ」
「まあ、わたし、そんなことを、話さなかったわ」
「おまえがしゃべらなくても、このアパートの誰かに聞いたに違いない」
「じゃあ、やっぱり、あのひと、後ろぐらいところがあるんですか?」
妹は、また目をみはった。
「まだ何とも言えないね。まあ、おまえのいう通り、万一、彼女が来るようなことがあったら、聞いておいてみてくれ」
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