車は、医者自身が運転する。看護婦は助手台にすわった。
「ええと、お宮の近くだと言ったな?」
「明神社の裏側です」
医者は、人通りの絶えた道路に車を走らせた。この辺は、街がつづいたかと思うと、畑になり、また短い町並みとなる。
やがて、ヘッドライトは、前方に、黒い森を映し出した。鳥居がある。
「こっちの方でしょう」
看護婦が左側の小さな路をさす。
さらにその路を走ると、二筋に分かれた。医者は、森のそばについた方を行く。この辺から、家を探すために徐行した。
「あれじゃないでしょうか」
看護婦は杉垣を見つけて言った。
近づいて、強いライトを当てると、門札に「久保田保雄」とある。二人は、そこで車をとめて降りた。
「裏を借りているそうですが、そこに別の木戸があるんだそうです」
それは確かにあった。医者が懐中電灯をつけて、その木戸を押すと、ひとりでにあいた。
離れというのは、すぐにわかった。母屋とは三間ぐらい隔たって小さな家がある。
ここに電灯の光を当てると、小さな玄関の横に、
「三浦」と紙に書いたものが門札代わりに貼られてあった。
「ごめんください」
看護婦は格子戸の外から呼んだ。格子戸には、内側から暗い灯がついている。
「ごめんください」
だれも出て来なかった。
「裏の方にでもいるんだろう。かまわないから、戸をあけてみたまえ」
戸は抵抗もなくあいた。看護婦が医者を先に入らせた。
狭い玄関だ。
「ごめんください」
やはり人が来ない。
「おかしいね。病人の世話でもしているのかな」
これは、夫婦者だけが借りていると想定して、医者が洩らした言葉だった。
いおくら呼んでも、人が出て来る気配はなかった。
医者は少し腹を立てた。夜中に電話で叩き起こして呼びつけながら、だれも出て来ないという法はない。
「かまわないから、君、あがってみたまえ」
医者は看護婦に命じた。
看護婦は尻込みしていたが、医者に言われて仕方なさそうに靴を脱いで、狭い玄関から上がった。障子を開くと正面は壁になっている。左手が座敷に通ずる襖だった。
「ごめんください、ごめんください」
看護婦はつづけて呼んだ。
しかし、やはり返事はなかった。人の足音すら聞こえないのである。
「先生、だれも出て来ませんわ」
「よし、ぼくがあがってみる」
医者は靴を脱いだ。座敷に電灯がついている。無人のはずはないのだ。
医者は襖をあけた。
内には電灯がついているが、これも病人のことを考えてか、電灯の笠がタオルでカバーされていた。だから、部屋は薄暗い。
六畳ぐらいだったが、その座敷のまん中に床がのべられてあった。布団をかぶって人が寝ていっる。枕の端に髪がのぞいていた。
はじめは、主人が氷でも買いに行っているのかと思っていた。だが、ここで漫然とその帰りを待っていられない。医者は布団をめくった。
女が壁に顔を向けて寝ている。
「もしもし」
看護婦は病人の傍によって低い声で起こした。
「もしもし」
返事はなかった。
「眠っているのでしょうか?」
看護婦は医者を振り返った。
「眠っているのだったら、たいしたことはばいはずだがな」
医者は懐中電灯を握ったまま、布団の裾をまわって、病人の顔の方にすわりなおした。
「三浦さん」
医者は患者の顔をのぞいてまた声をかけた。
医者に呼ばれても患者の顔は少しも動かなかった。たいそう苦し気な表情だ。眉に皺を立て、唇をかすかにあけて歯をのぞかせている。医者はしばらく見つめていたが、急に、
「おい」
と今までにない声を出した。
「だれか、この家の者はいないか?」
「は?」
「その辺に行って探してみてくれ」
看護婦は医者の声音で、病人の重症を察したらしい。
台所と思われるところに行った。
「この家のかたはいませんか?」
二三度呼んだが、これにも返事がない。
「先生、だれもいません」
看護婦は医者の後ろに戻て来た。
このとき、医者は、すでに布団をめくり、病人の胸に聴診器を当てていた。心音を真剣に聞き取ろうとしている様子が、看護婦の目に普通でなく映った。
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