「今西さん」
若い刑事が送受器を握って今西栄太郎を呼んだ。
「電話ですよ」
今西刑事は自分の机で「実況検分書」を書いていた。彼は今一つの小さな事件を受け持っている。
「おう」
彼は椅子をひいて立った。
「田中さんという人からです」
「田中?」
「女の人ですよ」
今西栄太郎に心覚えはなかった。もっとも、事件を手がけていると、記憶にない人からよく電話がかかってくる。
「今西ですが」
彼は送受器をとって言った。
「昨日はどうも」
女の声だった。
「どうも」
今西は相手の正体がわからないので迷った。
「田中と言っても、おわかりにならないでしょ。昨日、あなたがお越しになったバーの“クラブ・ボヌール”の者です」
「ああ」
今西はうなずいて電話口で笑った。
「その節はどうも」
今西には、恵美子の行方を知らせにきたのだと、すぐにわかった。昨夜、あのバーに訪ねて行ったのだから、マダムからわざわざ電話を掛けてくる以上、そうとしか考えられない。
「実は、恵美子のことでお知らせしたいんですが、もうご存じでしょうかしら?」
やはりそうだった。
「いや、まだよくわかっていません。どこにいるのですか?」
「恵美子は死にましたよ」
「死んだ?」
今西は呆然となった。
「ほんとうですか?」
「では、まだご存じないわけですね。実は、昨夜、あなたがお帰りにいなったあと、恵美子の今度越した家の家主さんというひとから電話がありましてね。何でも恵美子が持っていたマッチから、わたしの店がわかったんだそうです。それで、恵美子が死んだから至急に親元に連絡したいが、自分にはわからないから教えてくれと言うんです」
「ほう、いったい、どうして死んだんですか?」
今西はまだ驚愕から解かれなかったが、瞬間に恵美子は殺されたと考えた。しかし、他殺だったら、当然、この捜査一課に連絡があるはずだから、それではないはずだと思い直した。
「何でも、あの女が妊娠していて、転ぶかどうかして打ちどころが悪く、それが因で死んだらしいですの」
「・・・・」
「わたし、あの娘が妊娠しているなど、ちっとも気がつかなかったので、それを聞いてびっくりおしました」
マダムは、恵美子が死んだことよりも、妊娠していたことにおどろいているらしい。
「いったい、恵美子さんはどこで死んだんです?」
「自分の借りた部屋でですわ。引越したばかりだったそうですけれど」
「住所は?」
今西は片手に鉛筆を取った。
「その家主という人から聞いたままの所を言います。世田谷区祖師ヶ谷××番地、久保田保雄さんです。恵美子はそこの裏の部屋を借りていたんだそうです」
「ありがとう」
今西は早口で礼を言った。 |