~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
彼 女 の 死 (九)
今西栄太郎の手帳には、次のようなことが書かれてあった。
関川重雄 昭和九年十月二十八日生
本 籍 東京都目黒区柿ノ木坂1028番地
厳 重 祖 目黒区中目黒2103番地
関川徹太朗、母 シゲ子
略 歴

碑文谷小学校、目黒高等学校、R大学文学部、主として文芸評論にたずさわる。、

家 族 父は昭和十年に死亡、母は十二年に死亡し、兄弟ともなし。独身。
現在の住宅は昭和二十八年に引越し、家主は中目黒316番地 岡田庄一。
女中を置かず、近所の中村トヨ(五十四歳)を通い家政婦として手伝わせている。
趣 味 音楽、柔道二段、酒は大酒というほどでもないが、かなりたしなむ(日本酒よりも洋酒のほうを好む)
性 格 職業上社交的だが、実際は孤独癖がある。生活態度は几帳面の方なり。
交 遊 関 係 同年配ぐらいの若い文化人が多い
三日後、今西栄太郎は中目黒の関川重雄の家に手伝いに行っている中村トヨを訪ねていた。
中村トヨは、路地の裏の小さな家に住んでいる。彼女は十年前に夫に死に別れ、現在では息子夫婦と一緒に暮らしていた。
まだ、孫がないので、彼女は関川に頼まれて、昼間だけ家政を見に通っている。
今西栄太郎が訪ねたのは、午後九時過ぎだった。
中村トヨは、背に高い痩せた女だ。
「私は、興信所から来た者ですが」
今西栄太郎は、玄関先に出て来た中村トヨに言った。
「少しばかり、関川さんのことでおたずねしたいのですが」
「どういうことですか?」
中村トヨは、興信所から来たというので、目をみはった。
「あなたは、毎日、関川さんのお宅にお手伝いに行っていらっしゃるわけですね?

「はあ、そうで;。今も関川さんの所から帰ったばかりですよ」
「実は、縁談のことなんですが」
「え縁談ですって?」
中村トヨは、顔に興味をいっぱいに現した。
「関川さんの縁談ですね。どういう縁談が持ちあがっているんです?」
「それは、ちょと言えません。依頼主の方が絶対に秘密にしてくれと言っていますからね。そこで、あなたにいろいろと関川さんのことをお伺いしたいのですよ」
「はあ、そりゃあ、おめでたの話しですから、わたしの知っていることなら、何でも言いましょう」
「すみませんね」
玄関に続く奥の座敷には、彼女の息子らしい夫婦者の姿が見えた。
「ここでは、ちょっと何ですから、すみませんが、その辺まで一緒に来てくれませんか。何か食べながら、ゆっくりお話を聞きたいんですよ」
中村トヨは、割烹着を脱いで、ショールを巻つけると、今について外に出た。
表通りを二三軒行くと、中華そば屋がある。
「どうです、ここでワンタンでも食べましょうか?」
「今西はトヨを振り返った。
「結構ですね」
トヨは笑った。
2025/05/29
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