二人は、二機に赤い提灯の吊り下がっているガラス戸をあけた。店の中には湯気がこもっている。二人は客席の隅に差し向かいに腰をおろした。
「おい、ワンタン二つ」
今西は注文して煙草を出した。
「どうぞ」
中村トヨは煙草好きとみえて、ちょいと頭を下げて一本取った。今西はマッチをすってサービスする。
「しかし、何ですな」
と、今西は言った。
「あなたも大変ですね。朝早くから夜まで関川さんのところの手伝いでは」
「中村トヨは口をすぼめて煙を吐いた。
「いいえ、これであんがい気楽なんですよ。関川さんといったら独身でしょう。それに家にいて遊んでいても仕方ないんです。けっこう、小遣いぐらいにはなりますかrたね」
「体がお丈夫で、けっこうですよ。まあ、人間、働けるうちに働いた方が、体のためにかえっていいかも知れませんね」
今西は雑談をしながら、どのようにして、聞き出そうかと考えていた。
やがて、ワンタンが二つ運ばれた。
「さあ、どうぞ」
「遠慮しませんよ」
中村トヨは、にっこり笑って割箸を口で割った。うまそうに音を立ててワンタンの汁を吸いはじめる。
「どうです、関川さんは気むずかしい人ですか?」
今西ははじめた。
「いいえ、それほどでもりません」
ワンタンを口で噛みながら、彼女は答えた。
「なにしろ、あなた、ほかに家族がいないので、こちらの気は、至って楽です」
「しかし、モノを書く人、気むずかしい人が多いそうじゃありませんか?」
「そうですね、原稿を書いていらっしゃる時は、自分の部屋に閉じ籠って、絶対に、わたしでも入らせてくれません。まあ、わたしの方からすれば、かえって、楽なんですが」
「仕事中は、ドアを閉めていますか?」
「ええ、鍵こそ掛けませんが、内側でしっかり閉めています」
「それは、相当、長い時間ですか? いや、その部屋にこもっている間ですよ」
「その日によっていろいろですいね。長いときは、五六時間も出てこないときがあります」
「その書斎は、どういう具合になっているんdすか?」
今西栄太郎は中村トヨに聞いた。
「そこは洋間みたいになっています。八畳ぐらいですね。北向きの窓に机が置いてあって、あとは傍に、関川さんが一人で寝られる寝台が置いてあり、本箱が壁に並んでいるといった具合です」
今西は、出来るならその書斎というのを見たかった。
しかし、便宜上、興信所の者と名乗っているが、その偽名で他人の部屋をあらためることは、職務上の良心が許さなかった。警察官は、いかなる家屋といえども、居住主の承諾なくしては入ることが出来ない。許されるのは、家宅捜査令状を持っているときだけである。
今西は、自分が興信所員だと、嘘を言っているだけでも、良心が咎めていた。
しかし、これはやむを得なった。正面から刑事と言えば。中村トヨは恐怖して一言もしゃべらないに違いない。
「あの家の窓はどんな具合ですか?」
今西は聞いた。
「窓は北側に二つと、南側に三つほどあります。それと西に二つ、東が入口のドアになっていますからね」
「なるほど」
今西はだいたいの図形を、頭の中に描いた。
「けれど・・・・」
中村トヨは、ふと不審を起こしたように、ワンタンを口の中でかみながら、今西の顔を見た。
「そんなことが、結婚調査に必要なんですか?」
今西は、ちょっとうろたえた。
「やあ、実は、その、なんですな、やはり、先方のご希望で、関川さんの生活状態も、知りたいというわけですよ」
彼は取りつくろった。
「そうですか。娘さんを嫁る親御さんの身になってみれば、細かいことまで知りたいでしょうね」
中村トヨは簡単にうなずいた。
「まあ、これは、わたしの推量ですが」
と、彼女の方から進んで話してくれた。
「関川さんは、ああしてモノを書いていらっしゃいますが、あの若さにかかわらず、なんというか、売れっ子というんでしょうね。相当いそがしいんですよ。収入の方も、普通のサラリーマンだと課長ぐらいかな、と、いつか、わたしにそう言って、笑っていましたから」
「なるほど、そんなに収入があるのかね」
「ええ、お仕事も結構ございますよ。それに、ときどき雑誌の座談会だとか、ラジオの放送だとか、こまごましたことがありますからね。何ですか、わたしにはむずかしくて、よくわかりませんが。うちの息子の話によると、たいそう若手として人気者なんだそうですってね」
「そうらしいですな」
「そんな具合で、もしお嫁さんが来ても、生活の方は、大丈夫ですよ」
「わかりました。それは、先方に言えば安心するでしょう。ところでもう一つ、安心させてやりたいんですが、関川さんは、女友だちがありますかね?」
「そうですね」
中村トヨは、ワンタンの汁をがぶりと飲んだ。 |