今西は一人になった。
その様子が寂し気に見えたのか、おかみさんが気をきかせて新聞を出してkぅれた。
「ありがとう」
夕刊だった。今西はそれをひろげた。
格別の記事はない。
それでも、退屈まぎれに新聞を繰ってみた。秋の家庭記事などが大きくのっている。学芸欄には音楽・美術の催しなどについて読物ふうに書いてあった。
今西は、その見出しを眺めているうちに、ふと、目がなじみ深い活字に当たった。
「関川重雄」の四文字だ。
この秋の音楽界のことで、関川重雄が短い文章を書いているのだった。
今西はコップを置いて、急にその記事を覗き込んだ。
(和賀英良の仕事)
というのが、その小文の題であった。
今西はポケットから急いで眼鏡を取り出し、耳にかけた。電灯の光だと、眼鏡なしには小さな活字が読めないようになってしまった。
新聞にはこう書いてある。
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「今年の音楽界も、去年に引きつづいて、前衛音楽の理論が盛んである。しかし、理論のあげつらいは、芸術それ自体の前には意味をなさない。
前衛音楽といえば、すでに和賀英良などは新進作曲家とは言えなくなった。数年前、もの珍しげにミュージック・コンクレートや電子音楽を覗き見していた批評家連中は、和賀英良の試みなど、外国流の直訳者としかみていなかった。事実、数年前の和賀英良は、そう言われても仕方のないところもあった。
しかし、現在の和賀英良は、かずかずの独自の作品を発表し、直訳を卒業し、創作者となっている。もちろん、個々の作品についてはそれぞれの欠陥があり、われわれの側からしても言い分があった。事実、私なども、彼はかなり辛辣な作品評をしてきたのである。
しかし、この新しい音楽を、もはや、だれもが是認しなければならなくなった現在、和賀英良の存在を認めなければならない。言葉を換えて言えば、彼はそれだけ成長したのである。
実際、外国から直輸入した場合、そのお手本が外国作品に依らざるを得ないのは当然だ。このことは、和賀英良の不名誉にはならない。十九世紀の前期の絵画が、いかにセザンヌの真似であったか。また、飛鳥中期の絵画が、どのように隋唐の模倣であったか。音楽と言えども、この宿命的な原始模倣から逃れることは出来ない。問題は、それがいかに消化されるか、いかに独自性をその中から産み出すかにかかる。
和賀英良の芸術は、彼がその前衛音楽に打ち込んで以来二年にしか満たないが、ふり返ってみて、改めてその成長ぶりに驚く。われわれが個々の作品について目を奪われているときに、いつの間に、彼は時間の流れと共にここまで成長していたのである。少しずつだ、そして確実にだが、和賀英良は西欧の影響から離れて、彼本来の独創性を創しつつある。
もとより、この新しい芸術に目を奪われて、それに流れ込んでくる追随者は多い。だが、確実な基礎を持つ和賀英良の実力には、とうてい及びもつかない。短い期間だが、それを一つの歴史としてながめるとき、私は目を見張るのである。たゆまず努力を重ねてようやく実らせた、その豊かな才能によっ、さらに飛躍することを彼に期待したい」 |
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今西はこれだけ読んで、おや、と思った。
音楽のことは、もちろん、何もわからんばい。また、こんな理論めいた文章も苦手だっ。しかし、この前、関川重雄が和賀英良のことについて書いた批評と、今、この新聞で読んだ文章と、かなり調子が違っているように思えた。
素人だからよくわからないが、前よりも今度のが、ずいぶんほめてあるように感じる。 |
2025/06/06 |
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