~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
糸 (八)
今西栄太郎の手帳には、つぎのようなメモが書いてある。
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〇関川重雄
昭和九年十月二十八日生
本籍 昭和三十二年・秋田県横手市より東京都目黒区柿ノ木坂一〇二八に転籍
父 関川徹太朗、母 シゲ子
家族 父は昭和十年に死亡 兄弟なし 独身
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〇××××
昭和八年十月二日生
本籍 大阪市浪速区恵比須町二ノ一二〇
現住所 大田区田園調布六の八六七
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〇本浦千代吉
原籍地 石川県江沼郡××村××番地
明治三十八年十月二十一日生
昭和三十二年十月二十八日死亡
妻 マサ
明治四十三年三月三日生
昭和十年六月一日死亡
石川県江沼郡山中町××番地
山下忠次郎次女。昭和四年四月十六日婚姻
長男 秀夫
昭和六年九月二十三日生
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ある人物の分が一枚加わっている。
今西栄太郎は、なぜ、この人物を手帳に書き加えたか。
今西には、評論家関川重雄が、新聞紙上に書いた文章のことが、まだ気にかかっている。
これとて、mon問題でないかも知れない。しかし、刑事はあらゆることを疑ってかかからねばならぬ因果な商売だった。
もちろん、今西栄太郎はむずかしいことはわからない。また、近ごろの評論家の書く文章には、はじめからこちらが劣等感をもっている。知的に積みあげられた荘厳な文章なのである。何を言っているのか、今西などには呑み込めない。関川重雄のあの文章は、わかりやすくはあったが、それも果たして、文字どおり受け取っていいかどうか、彼には自信がなかった。
えてして、こういう評論家の書いているものには、文字の行間から、言わんとするところを察しなければならないようである。それを鋭敏に読みとらねば「日本語を知らない頭の悪い読者」と言われそうである。
とのかく、頭が悪くても何でもいい。今西は自分の感じたとおりを考える。
それに、ヌーボー・グループの中で、今西が関心を寄せているのは、関川重雄だけではない。ほかにも、いろいろな若い芸術家がいる。劇作家あり、音楽家あり、小説家あり、詩人あり、画家ありで、多士さいさいである。
今西は、和賀英良についての問合せに二つの回答をもいっている。
一つは、大阪市新川町の浪速区役所戸籍課から送って来た戸籍抄本だった。
大阪市浪速区恵比須町二ノ一二〇
父 英蔵
明治四十一年六月十七日生
昭和二十年三月十四日死亡
母 キミ子
明治四十五年二月七日生
昭和二十年三月十四日死亡
本人
昭和八年十月二日生
母キミ子は、原籍仙台市東三番町四七山本二郎長女にして、昭和四年五月二十日、英蔵と婚姻届出。
もう一つは、京都府立××高等学校からの回答で、それによると和賀英良は昭和二十三年に中途退学した、と回答してきた。
今西は、次の三つの名前を頭に浮かべていた。
(A) 昭和九年十月二十八日生。(B) 昭和八年十月二日生。(C) 昭和六年九月二十三日生。
原籍地もそれぞれ違う。一人は東京、一人は大阪、一人は石川県である。
今西は、鉛筆の頭でこの三つの名前の上を叩きながら長らく考え込んでいた。
2025/06/24
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