稜線を回ると、また景色が変わった。ちょうど海にたとえれば、入江になっているように、その部落を抱きかかえるような地形だった。
それにも部落が四五戸、山裾に散るようにして立っている。
今西栄太郎が自動車を降りて、 畦のような狭い道を行った。
すると、畑を打っている老婆を見かけた。今西はその前に足をとめた。
「ちょっと、おたずねしますが」
と、丁寧に声を掛けた。
「山下忠太郎さんの家は、どこでしょうか?」
老婆は鍬を持ったまま腰を伸ばした。
「忠太郎は、もうだいぶ前に死にましたが」
老婆はトラホームでも患っていいるよな、ただれ目をしていた。
「その人の養子で、庄治さんという人の代になっているそうですね」
今西は、さっき聞いたばかりの知識でたずねた。
「庄治の家は、あのうちです」
老婆はさらに腰を伸ばして、土まみれの指をあげた。それは五六軒並んでいる農家の一番奥だった。丘陵に沿って家が建っているので、その藁屋根は高いところに見える。
今西は礼を言って、行きかけようとすると」
「あなた、庄治を訪ねて行っても、いまはダメですよ」
と、老婆は言葉をかけた。
「はあ、留守ですか?」
「出稼ぎに行っとります」
「出稼ぎ? どこですか」
「何でも大阪の方に行ったという話ですな。この辺は、これから春になるまで、男手はいりませんからな。たいてい他所に働きに行きます」
「そうすると、今はどなたがいらっしゃいますか?」
「庄治の女房がおります。女房といっても養子じゃから家つきの娘じゃ、お妙さんというてな」
「お妙さんですな。どうもありがとう」
今西は道を進んだ。農家はどこも貧しそうだった。家が小さく古びて汚い。今西が前を通ると、見知らぬ男が歩いているのを、門口でじろじろ見送る老人もいた。
一番上の家までには、道には段々のような石が置いてある。
今西は涸れた畑の間を、伝うようにして歩いた。その家の前に来ると、古びた柱には「山下庄治」とうす汚い標札がかかっていた。
その家の戸は閉まっていた。横の方にまわったが、そこも、ほとんど雨戸が閉ざされていた。この家全体が、留守のような感じだ。
今西は、また表に戻って戸を叩いた。
が、返事はなかった。しかし、戸に手を掛けると、戸締りがなくてひとりでにガラガラとあいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
今西は、暗い奥に向かって呼んだ。すると、奥から小さな人影がさした。それは声を出さないで、今西の方にゆっくりと歩きて来た。
明るい光線で見ると、頭の大きい痩せた男の子だった。十二歳だろうか。汚れた格好をしている。
「だれかいないかね?」
今西は、その男の子に聞いた。
その子は黙って目を上げたが、その片方の目は、真白だった。
残っている目も瞳が小さかった。今西はそれを見た瞬間、どきりとした。
「だれかいないかね?」
今西が、少し大きな声を出すと、奥の方から物音がした。
子供は黙って今西を見上げている。その無気味な片目が、彼に一種の嫌悪感を起こさせた。子供だと思ってもすぐにはかわいそうな気が起こらなかった。その子の青白い血色を見ていると、病的な感じが強かった。
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