三日後、一人の巡査が、警視庁に今西栄太郎を訪ねて来た。
「やあ」
今西は、その顔を見て、自分の机の傍に招いた。
「先日は、ご苦労なことをお願いだしました」
今西は頭を下げた。
「どういたしまして」
巡査は、東調布警察署の交番詰めだった。三十過ぎの太った男である。
「お頼みを受けた件ですが」
「はあ、はあ」
今西は椅子から膝を乗り出した。
「あの家に行ってみました。押し売りのことで被害がなかったかという口実で、主人に会いましたよ」
「それは、どうも、ご苦労さまです」
「よそで押し売りが挙がり、こちらさまにも当人が伺ったと供述があって、それで調査にまいりましたと言いましたら、ウチでは品物を買わなかったから何も被害はないと、主人は言うのですよ」
「うむ」
「しかしこの話をするのに、私はなるべく玄関先にねばって時間をかけましたよ」
「どのくらい、いましたか?」
「そうですね、十五分はたっぷりと居たでしょう。まず世間話からはじめて、今の一件をゆっくりとほじくって聞いたものですから」
「それで、何か異常はありませんでしたか?」
「気をつけていたんですがね、何も変わったことはありませんでしたよ」
「家の中はどういでしたか?」
話し声も物音もしませんでした。そうそう、物音といえば、台所で女中が皿か何かを洗っているような音しか聞えませんでした」
「あなたは気分が悪くなりませんでしたか?」
「いいえ、いっこうにそんなことはなかったです。お話を聞いて、私も気をつけていたんですがね。全然、気持が変な具合になるということはなかったです」
「なるほどね」
今西は机の上を、こつこつと指で叩いた。考えるような眼差しになった。
「それで、私も結局、なにもまなかったものですから、十五分ばかりでその家を出ました」
「そうですか」
今西は浮かない顔をしている。
「もう一度、聞きますが、家の中に変わった様子は見られなかったわけですね?」
今西は諦めきれないように念を押した。
「そうです。普通の家ですよ。全然、私の気分は快適でした」
交番の巡査は、そのことの報告に今西のところに来たのだった。
「いや、ありがとうございました」
今西は頭を下げた。
「これでいいんですか?」
「結構です・・・。また何かお願いすることがあるかも知れませんが、そんときは一つよろしく頼みますよ」
「よござんす。交番詰めは事故がないかぎり暇ですから、いつでもおっしゃって下さい」
今西栄太郎は、交番巡査を本庁の玄関まで見送った。巡査は寒い風の吹いている電車通りに出て行った。今西が部屋に引き返した時だった。
「今西さん、いま、ちょうどあなたに電話がかかってきたところですよ」
若い刑事が送受器を握って呼んだ。
今西は送受器をとった。
「今西刑事さんですか?」
先方は若い男の声だった。今西刑事さんですか。、という呼び方は、いかにも素人くさい。
「こちらは、南映映画会社のものですが」
「あ、どうも」
今西栄太郎は、いつぞや頼んでおいた『世紀の道』の予報編のフィルムのことだとすぐ気づいた。あのときの係りである。
「この間からいろいろと面倒をかけています」
「どういたしまして。あの『世紀の道』の予報編がたった一つだけありましたよ」
「え、ありましたか?」
今西は勢い込んだ。
「それは、ぜひ拝見させてもたいたいものです」
東北地方の館にうろうろしていたのを、やっと回収したのです。今日、試写室の都合はいいですよ。いつでも映せます」
「それはありがたいですな。では、これからさっそく伺います」
「わかりました。準備させておきましょう」
今西は警視庁を飛び出した。
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