~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
無 声 (六)
今西がぼんやりしていると。城内に灯が点いた。
「いかがでしたか?」
いつの間にか、係りの人が今西の横に立っていた。
今西は目をこすった。
「すみませんが、もう一度、やってみてくれませんか」
映写は、時間にして四五分だった。ちょっと油断していると、つい見逃がしてしまう。今西はもう一度確かめたかった。ちょうど、三木謙一が伊勢で同じ映画を二度も見たようにであっる。
技師は、はじめからもう一度写した。
今西は今度も目に神経を集めた。握った手に汗がにじんでいた。
しかし、ついに新しい発見はなかった。これこそ、本目だと思っていたのに、最後の希望も完全に消えてしまった。
今西は映画の試写室を出て、外を歩いた。
いったい、三木謙一は伊勢市の映画館で何を見たのだろうか?
『世紀の道』の予報編でもなかったのだ。
今西は自分の目を信じている。あれほど一コマも見逃がさないようにスクリーンを穴のあくほど見つめていたのだ。見そこなったとは思えない。今の予報編などは二度も繰り返して写してもらったのだ。
自分にはわからないが、三木謙一にだけわかる何かがあの四つの映画の画面のどこかにあったのであろうか。
今西は三木謙一が東京に出た同機を、あくまでも伊勢市の映画館見物に求めている。これ以外に考えようはないのだ。
あの犯人は、自分の姿を、一度だけ第三者に見られている。それは蒲田操車場近くの安バーであった。
片すみに被害者と二人で、ひそひそと話をしていた男だ。この男こそ、犯人以外に考えられないのだ
目撃者は、そのバーの女の子と客だった。数からいって不足ではない。
しかし、いまだに犯人の欠片すら見えないのである。
ところで、三木謙一は伊勢市から上京して、その蒲田の安バーで犯人と会っているが、その間に、あまり時間的な開きはないのだ。
三木謙一が伊勢市の二見旅館に泊ったのは五月九日である。彼はその晩、映画を見て、十日の昼間もう一度映画館に入り、その日の夜、出発している。彼は二見旅館で、名古屋発二十二時二十分の列車連絡のある近鉄電車のことを聞いている。
もし、三木謙一がこの汽車を利用したとすれば、十一日の朝、四時五十九分に東京駅に到着する。
彼の死体が蒲田操車場で発見されたのは、十二日の午前三時すぎである。しかし、解剖の結果、彼の死亡推定時刻は、十一日夜十二時から一時の間だ。
すると、十一日の朝、東京駅に到着した三木謙一は、早くも、その夜、殺害されているわけだ。東京に着いた三木謙一はこの世の空気を十九時間しか吸っていないことになる。
この間の行動が問題なのだが、その足取りは全然つかめていない。しかし、三木謙一が東京に会いに行った男が犯人だと決定して間違いない。
しかも、その殺し方が残忍だった。操車場の電車の下に死体を置いている。扼殺したうえ、さらに石でめった打ちにしたことといい、始発電車の車体の下に仕掛けたことといい、犯人は被害者によほど怨恨のある人物と思われる。
2025/07/06
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