~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
無 声 (七)
三木謙一は、伊勢のあの映画館に二度も行った。二度も入るだけの必然性があったのだ。
この場合、三つのことが考えられる。
① 三木謙一は、四つの映画のいずれかに興味を起こした。そして、それが上京の同機となった。しかし、、今西など第三者にはそれがわからない。つまり、三木謙一にだけわかる場面があったのだ。
② 今西が肝心の画面を見おおした。
③ 映画関係者以外の事実
このうち②は、そのようなことはないと今西に自信がある。全神経を集めて画面を睨んでいたのだ。どんな小さな動きでも見逃がさなかったと信じている。
①の場合は、ちょっと自信がない。しかし、三木謙一にだけわかり、第三者にわからない場合というのは、今西の想定ではあり得ないことだ。
最後に映画以外の事実のことである。
映画館となると、映画を見たことにすぐ結びつくと、今西は考えている。だが、果たして、そう決めてしまっていいか。
今西は③の場合が最も研究されていいケースだと考えた。
三木謙一が二度も映画館に入ったことは、彼は映画以外のものを確かめに入ったのかも知れないのである。
それ以外のものといえば何だろう、人間であろうか。
観客ではない。観客なら一度しか来ない。
しかも三木謙一の上京は、映画館が契機だとの確信は揺るがない。
では、何なのか。
映画館に三木謙一の知った人間が勤めていたのか。
さあ、この辺からややこしくなったぞ。
今西栄太郎は本庁に帰った。
問題は伊勢市から離れない。やはり、あすこに鍵があるようだ。
そうだ。映画館の経営主に手紙を出してみよう。三木謙一を知っている人間が、映画館の従業員の中にいるか、どうかだ。
それから、三木謙一がそこへ行った日以来、映画館を辞めた従業員がいるかどうか。
ついでに、経営者自体の略歴をざっと知らせてもらおう。三木謙一は、もしかすると、映画館の主人に会いに行ったのかも知れないからだ。
これは、いい思いつきだと思った。そうだ、この点はもっと調べてみる必要がある。
それなら経営主に直接手紙を出すより、土地の警察に頼もう。
今西は机の引出しから便箋を取り出すと、伊勢警察署捜査課長あてに依頼状を書きはじめた。
横では同僚が暇とみえて、将棋をさしている。
「王手だ、王手だ。さあ、もう詰むぞ」
同僚の声が弾んでいた。
「そう簡単に詰むもんか。詰みそうで詰まんのだ」
2025/07/06
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