~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
無 声 (十一)
女中に案内されて、関川を先頭に三人の若い者が入って来た。
三人とも、さすがに、この場面にちょっと戸惑ったように躊躇した。和賀英良が椅子から立って、友だちに笑った。
評論家関川重雄、劇作家武辺豊一郎、画家片沢睦郎の三人は、それでも姿勢を立ち直らせてまっすぐに新大臣の横に歩いた。
「このたびは、おめでとうございます」
田所重喜も椅子を引いて立ちあがった。
「やあ、どうも、ごていねいに」
夫人が、
「わざわざ、恐れ入りました。こんなところですが、ちょうど内輪だけで集まっていますの。さあ、どうぞ、あちらへおすわりください」
三人の席が新しく作られた。子供たちは、闖入した新客たちを珍しそうに眺めている。
関川は、和賀の肩を叩いて席に着いた。新しいグラスが運ばれた。
「おめでとうございます」
先に言ったのは、やはり関川だった。ほかの二人もそれに続いてグラスをあげた。
「ありがとう」
田所重喜は丁重におじぎをした。
和賀が立って、三人の椅子の後ろに行き、
「よく来てくれたな」
と言った。。つづいて佐和子もなれなれしい挨拶をした。
「お三人ともお忙しいのに、よく来てくださいましたのね」
「いや、なにしろ、お祝いごとですからな。何をおいても駆けつけましたよ」
関川は代表して答えた。
「あんがい、頼もしいにね」
天井からは、北欧の民芸ふうなシャンデリヤが下がっていた。明るい光の中で、佐和子の真紅のドレスが輝いている。三人の視線には軽いおどろきがあった。
「ほう。今夜は、まるで和賀の結婚式の予行演習にたいですな」
関川が冗談のように言った。
内祝いの席は新しい客の三人を加えて、途中から雰囲気が盛り上がった。
若い三人は、初めかtら饒舌だった。よくしゃべり、よく飲む。
田所重喜は、にこにこして若い者の高尚な芸術論に耳を傾けている。
一番、話の活発なのが、評論家だった。筆と同じように弁舌もたつ。ひぁの二人は実際家だけに、論理の組み立ては評論家関川重雄に追っつかない。
関川は、新しい芸術論を、古い官僚出の田所重喜にもわかるように話した。
要するに、在来の既成芸術はいっさい認めず、真の芸術は自分たちの手創造するのだという理屈である。
「和賀の音楽だって、現在の段階では、まだ、ぼくらには不満があります」
と、彼は遠慮なしに未来の大臣の聟を見てしゃべった。
「しかし、既製品からみると、和賀のはわれわれの理想に近いですね。彼の仕事は、その点、創造期のものとして期待していいと思います。あとに続く者が現在の不完全を匡正してくれるでしょう。しかし、それはそれとして、粗野ながら、新しい分野を開拓した和賀の功績は認めてやってもいいと思います」
「コロンブスの卵だわね」
佐和子が口を入れた。
「そうなんです。やってみると何でもないが、創造は大変なことです。その点ぼくは、今まで和賀にいろいろと不満を述べてきましたが、それは彼を認めた上でのことです」
「和賀」
と、横から劇作家が言葉を挟んだ。
「評論家という奴には、ご馳走するもんだな」
一座は笑った。この時、女中が電報を運んで来た。
田所が受け取ってひらき、読みくだしていたが、黙って横の夫人に渡した。模様入りの祝電である。
夫人が電文を皆に照会した。
「ダ イジ ン シュウニンヲ オイワイイタシマス タド コロイチノスケ・・・あら、伊勢市の田所さんからですね」
夫人が夫の顔を見た。
「うむ」
羅所重喜はうなずく。
「ご親戚ですか?」
画家の片沢睦郎だった。
「いや、そうではありません。この人は伊勢市で映画館を持っている人だがね。同郷の人間です」
「ははあ、しかし、田所という姓はおんなじですね」
「そうなんだ。ぼくの村は田所姓が多くてね。よその者が行っても、田所だらけだから迷ってしまう。遠い祖先は、みんな一つだろうが、分家から分家と分かれていって、今では一村の半分が田所姓ですよ。この伊勢市の人も、そこから、若いとき飛び出した男だがね。いつもぼくの後援をしてくれています」
「お父さまを、とても崇拝していらっしゃる方だわ」
佐和子が横から注釈を入れた。
内祝いの宴は、それから一時間ぐらいで終わった。
一同は、ぞろぞろと広間に引き上げた。もっとも老人や子供は途中からはずれたので、大人ばかりが六七人、クッションにもたれた。コーヒーや果物が運ばれた。
和賀と佐和子は、自然に、仲間の三人と話をしている。
このときの話も、食堂で出た芸術論の延長だった。彼らによると、現在の大家や中堅は罵倒の対象以外ではなかった。
田所重喜と夫人とは、横で傍聴の格好になった。若い人たちだけに元気がいいし、声も高いのである。ふるい大人たちが圧倒されていた。
来客は、党関係者ばかりではない。新聞雑誌記者もやって来た。写真を撮らせてくれという組もひっきりなしにある。
「ちょうどいいから、ここで若い者と一緒に撮ってもらおうか」
新大臣は気軽に皆と並んだ。田所重喜夫妻を中心にして、和賀や佐知子が並び、関川、片沢、武辺なども、この家の縁者たちの中に入った
2025/07/08
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