暗い場所から立ちあがって、そっとドアをあけ、廊下に出たのは、そのあとである。
事務室に戻ると、事務員三人がやはりポスターなどの発想準備にかかっている。
「どうでした?」
案内してくれた事務員が、今西を振り返った。
「なかなか、おもしろかったですよ」
今西はにこにこして答えた。
「それは結構でした。何でしたら、お終いまでゆっくりごらんになってくださったら?」
「ありがとう」
「あれは、今度、劇団で初めて上演する劇で、力を入れてるんです。おかげさまで前評判もたいへんいいようです」
「そうですか。みなさん、なかなか熱演ですな」
今西はその事務員の傍で小さい声で言った。
「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですが」
事務員は自分の仕事から離れて今西の傍に来た。
「いま拝見すると、ずいぶん、衣装がいるもんですね」
今西は言った。
「そうなんです。なかなか衣装を作るのもバカになりませんよ」
「公演が終わったあとは、その衣装を保存しておくんですか?」
「ほとんど保存しております」
「すると、それを管理す人も当然いるわけですね」
「います」
「すみませんが、その人に、ちょっとお会い出来ませんか?」
「衣裳係にですか?」
事務員は今西の顔を見。ふしぎそうな表情だった。
「ええ、ちょっとお尋ねしたいことがあるんです」
「では、ちょっと待って下さい。いま、いるかどうか見て来ます」
事務員はまた事務所から出て行った。
今西はそこでしばらく煙草を吸っていた。
── 成瀬リエ子はこの劇団の事務員だったから、劇団の内部にも詳しく通じていたであろう。むろん、劇団員全部とも知合いの仲だったのだ。
事務員の戻りを待間でも、今西の想像発展していた。その事務員が戻った。
「いましたよ。今、その衣装の人が帰り支度をしているところです」
「それはよかった」
今西は煙草を捨て。
「ちょっとだけ、お会いしたいんです。五分か、十分ぐらい・・・・」
「ご案内しましょう」
事務員は、今西を奥へ連れて行った。
「この人が衣装管理の方をやっています」
事務員が紹介したのは、三十五六の太った女だった。
「お帰りの間際のところすみませんね」
今西は頭を下げた。衣装係はすでコートを着て、帰り支度になっている。
「どういうことでしょうか?」
背の低い彼女は、今西見上げた。
「つかにことをうかがいますが、今、舞台で稽古を拝見していたんですよ。あれだけの衣装を、あなたが全部管理なさっていらっしゃるんるんですね?」
「はい、そうです」
「たいへんな数だと思いますが、あれで紛失するということもありますか?」
「いいえ、そんなことはめったにありません」
「めったに?」
今西はその言葉にきっかけをつけた。
「すると、ときには紛失するということもあるわけですか?」
「ええ、ほとんどないことですが、それでも一枚や二枚足りないということもあります。でも、そんなことは何年間に一回ぐらいですよ」
「なるほど、それはなたの管理がゆき届いているからですね。しかし、不可抗力ということもあるでしょう。いくら気をつけていても、おびただしい数でしょうから、員数が不足の場合もあるでしょうね」
「ええ、でも、それはわたしの責任になりますわ」
「ははあ、で、この春ごろ、男物の衣装が紛失したという例はありませんか?」
今西が、かなり具体的に言ったので、衣装管理の彼女、少し驚いたような表情をした。
「ええ、一度あります」
「ほほ、それはいつごろですか?」
「五月から川村友義先生の“笛”というのを上演しました。その時、男物のレインコート一枚どこにいったか、どうしてもわからなかったことがあります」
「レインコート?」
今西は目をむいた。
「それは、いつごろですか?」
「あの公演は五月いっぱいでしたが、たしか、五月の半ばごろに紛失したと思います。どうしても見つからないので、わたしが大急ぎほかのもので間に合わせたことがあります」
「すみませんが、それが五月の何日か、正確にわかりませんか?」
「待って下さい。それだったら、わたしの仕事の日記を見ます」
彼女は大急ぎで自分の部屋に引き返した。
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