今西栄太郎には、犯人の当夜の行動が、だいたいわかった。
犯人は、蒲田付近にアジトなどは持っていなかったのだ。女はいたが、連絡の場所は住宅ではなかったのだ。
今西は、長い間の謎がはじめて解けたと思った。ずいぶん、手間と時間とを食ったものである。だが、あのまま迷妄のかなたを彷徨するよりも、おそまきながらわかった方がいい。
だが、今西にはわからないことがたくさんあった。というよりも、重要な点がさっぱり摑めていない。
今西は、とりあえず、自分の考えを吉村に伝えておいた。
「まったく、そのとおりですね」
吉村も共感していた。今度の捜索で一番気をつかっているのは、この若い同僚だった。
「いいところに気がつきましたね。さすが、今西さんですよ」
「まあ、そう言ってくれるな」
今西は照れた。
「これがちゃんとわかるようになれば、ほめられてもいいかもしれないが、ぐるぐるまわったあげくだからね」
「いや、それだけでも、苦労のしがいがありましたよ。なるほど、そういう手があったんですね」
加害者の犯行は簡単である。被害者を石でめった打ちにして殺したという単純な犯罪だった。
だが、あとがいけない。
犯人は、自分の血染めの衣類を隠す衣服を、女に持って来させた、それから彼はどうしたのか。
その直後の行動のことだけではない。その犯罪が行なわれて以来、三人の人間が死んでいる。今西の考えは、蒲田操車場の殺人事件の影を、この三人の死に求めようとしているのであった。
── あくる日、三時ごろになって、今西は空腹を感じた。
警視庁の食堂は、一階と五階とにある。一階は、刑事簾中のために実用的食堂となっているが、五階は、いわば喫茶店と言った方がよい。
ここでは、安いコーヒーやジュースなどのほかに、菓子や子供の土産物などを、市中の価格より安く売っている。
今西は、仕事の区切りがついたので、五階へ上っていった。
だれの腹も同じとみえて、この時間にはかなり客がある。
今西は、コーヒーと安カステラを注文して、席に着いた。
すぐ横の席には、防犯課の連中がいた。今西は、顔だけは知っているが、話をしあうほど心安くはない。
警視庁の人間でない人が二人ほど混じっていたが、これは防犯協会の人たちらしかった。五六人の席だから、話も賑やかだった。
今西は、堅いカステラを食べながらコーヒーをふくみ、口の中で柔かくしていた。
「しかし、なんですな。このごろ、各家庭でも、だいぶ、防犯設備は徹底したようですな」
防犯協会の人が言っていた。
「やはり警視庁のPRが、そうとう行き届いたと思いますよ」
今西は、カステラとコーヒーを交互に口に運んでいる。
刑事をしていると辛いことが多い。寒い冬の徹夜や、夏の夜、yブ蚊に食われながら一晩中しゃがんでいる張込み。一つの品物を持って都内中を十数日がかりで足で歩く証拠固め・・・。そんな忙しい目にあっているときを思うと、のんびりした今の時間は極楽だった。
「都民の一番の悩みは空巣ねらいでしょうね。だが、これも、隣近所に、留守のとき連絡しあうようになってから、かなり違ってきました」
と、横では、防犯課の人が言っていた。
「東京の庶民生活は、あまり隣近所とつきあしないことが特徴なんですがね。これが、泥棒に狙われやすい原因の一つだったのです。近ごろは、空巣ねらいも、うんと減ってきましたよ」
「玄関の戸の内側などに、ベルを取り付けたりする家も多くなりましたね」
「あれは、心理的に効果があります。ただ、表ばかりせずに、裏の方も、ちゃんとしておく必要がありますね。ところが、肝心の裏の方だけはやっていないという家が多いんですよ」
「まあ、空巣狙いの方はそれでいいとして、あいかわらず、減らないのは押し売りですね」
と、防犯課の刑事が言っていた。
「実際、これは悩みですよ。まあ、百円玉の一つも素直に出せばそれで面倒がなくていいかもいしませんが、みすみす、高い品物を承知して買うのは、バカバカしいですからね。早い話が、主婦は市場に買物に行って、わずか三十円の品物でも、選択に真剣ですからな」
「家人の少ない家だと、すぐ恐怖心先にたって、つい金を出してしまいます。そこでまた押し売りがつけあがって、今度はこれを買え、あれも買え、と押しつけるような場合もあります。
隣近所に応援を求めにいっても、その留守の間に家の中に入り込んで何をするかわからないし、せっかく呼びに行っても、押し売りだと聞くと、近所の人も尻込みしますからね。あれは、困ったものです」
「いや、ところがですな」
と、防犯協会の一人が笑い声で言った。
「近ごろ、押し売り撃退法に妙薬があるんですよ」
「ほほう、なんですか?」
「なに、ちょっとした装置をするんですかね」
今西はその声が耳に入ったので、話している方に目を向けた。
最前から、押し売りという言葉が出たときから、彼は耳を澄ましたのだが、いま、押し売り撃退の装置と聞いてから、彼の関心はにわかに高くなったのだ。
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