~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ある戸籍 (四)
「ずいぶん、この戸籍原簿は、紙が新しいですね」
「ええ、前の戸籍原簿は、やはりその戦災で焼けましたので、その後に替えたものです」
「焼けた?」
そうか、原簿は焼けたのか。
戸籍原簿は、区役所と管轄の法務局とに置いてある。もし、区役所の分が焼けたら、法務局の原簿を写して調整するのである。
「これは、法務局の方を写し取ったんですか?」
「いいえ、そうじゃありません。法務局もその日の空襲で全焼して、原簿も一緒に焼けました」
「えっ」
今西は目を光らせた。
「では、これは何に拠って調製したのですか?」
「それは本人の申し立てです」
「本人の?」
「はい、戦災で原簿が焼けた場合、戸籍再製ということが法律で決められてあります。これをごらんください」
女事務員は、その戸籍簿の第一ページに印刷されてある文章を見せた。
戸籍原簿の第一ページにある文章は、次のような活字だった。
戦災地デ戸籍地域ノ区役所、各県庁ガ焼失シタ場合ニハ、戦後昭和二十一年カラ二十二年ニカケテ戸籍再製届出ヲナスモノトス
今西栄太郎は目を上げた。
「すると、この戸籍も、昭和二十一年から二十二年の間に再製の申請がなされたのですか?」
「いえ、そうではありません。あとから届が出る場合もあります」
「すみませんが、この人の場合、何年ごろに再製届出がなされたか、調べていただきませんか?」
「それは、すぐわかります」
女事務員は、その原簿を取って繰っていたが、
「この方は、昭和二十四年三月二日に届が出ています」
「昭和二十四年?」
今西は考えるような目つきになった。昭和二十四年というと、当人が十六歳である。
「その再製の届出には、本人の申し立てが間違いないということを証明す、保証人といったものが必要ですか?」
「なるべくなら、そういう人があるのが望ましいのです。けれども、戦災などという特別な場合は、それを証明してくれる人もいないことがあります。そういうときは、やむを得ず、本人の申告どおりに再製することにしています」
「では、この場合も、本人の申告どおりに戸籍再製をやったわけですね?」
「待って下さい。それは調べてみましょう」
女事務員は席を離れた。
ここから見ると、戸籍係というところは、いくつもの戸棚を持っているのがわかった。彼女は積み重ねた戸棚の下にかがみ込んで、しきりと何かを探していた。それはおよそ十分間もかかった。探すのに手間取っているらしい。窓口には客がたまってゆく。今西は、少し気の毒になった。
女事務員は、ようやく、今西の前に戻って来た。
「いま、調べましたところ、その申請書は五年間の保存ですから、もう処分しています」
「ははあ」
今西は、ちょっと頭を下げた。
「どうも、お手間を取らせました」
「いいえ」
「ついでにお聞きしますが、その申請は、本人の申し立てがあれば、そのとおりに書くわけですね?」
「ええ」
「たとえば、ここに、ある人がいて、虚偽の本籍を登録したとする。そういう場合も見分けがつかないわけですね?」
「そうなんです。わたしの方はなにしろいっさいの原簿を焼いてしまってますから、嘘の申告をされても発見のしようがありませんわ」
「そうですか・・・」
今西は、そこに立って考えていた。まだ、聞くことが残っていそうだった。
「さきほ、申告が嘘であっても、その発見のしようがない、と言いましたね」
「はい」
女事務員はうなずく。
「どうしてもその作為はわかりませんか? 何かわかる方法があるでしょう?」
それでなければ、あまりに手続きが安易すぎる。
「それはあります」
女事務員は果たして答えた。
「ほう、ありますか?」
「はい、たとえば、この戸主英蔵さんの出生地が記載してあれば、その地方の市役所か、村役場に、問い合わせて、確かめてみるのです。妻のキミ子さんの場合もそうです」
なるほど、そうだろう。そいうことは考えられる。
「で、この場合は、そういう手続きをしたのですか?」
今西はそれを追及した。
すると女事務員は、ちょっと待って下さい、と言い席を立った。
2025/07/26
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