~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ある戸籍 (五)
彼女はまた棚のところに行って、厚い綴込みを探している。かなり長い間だった。
やがて、彼女は戻って来た。
「当時の事故簿をいま見たんですが、それを受付た係はやめて、いま、ここにおりません。けれども、事故簿には、当時、その届出を受け付けたが、戸主英蔵さんも、妻キミ子さんも、本籍地の点は、追完届けになっています」
「追完届?」
なんのことかわからなかった。
それを察したように、女事務員は説明した。
「これは、わたしの推測ですが、たぶん、その時届けられた人は、戸主英蔵さんの出生地も、妻キミ子さんの出生地も戸籍上の詳細な地名を忘れていたんじゃないですか」
「忘れた?」
「と思いますね。なにしろ、この届け出られた人は、当時十六歳です。両親が戦災死して、急に亡くなったのですから、その前に両親の出生地について正確な知識を持ってなかったのかも知れません。それで、書きようがなくて、つい、そのまま戸籍を再製したと思います。あとで、戸主の、つまり両親の本籍地がわかったら本人に届け出るように約束して便宜をはなったのだと思います。そういう手続きを追完届といいます」
そうか、そういうことも考えられるものか。
ありそうなことである。
ありそうな、というのは、十六歳の当人が両親の戸籍出生地を憶えていなかったということではない、頭脳のいい当人の申し立てがいかにもそれらしいと考えられるのである
「いや、いろいろありがとう」
今西は、長いこと手間を取らせた詫びを言った。
今西は外に出て、いそいそとした足取りになった。
── 浮浪児は、かつてこの大阪に住んでいたことがある。これだけは確かだった。
今西栄太郎は、それから京都府立××高等学校に向かった。
京都府立というと、京都市内に近いと思われたが、そこはむしろ大阪府の方に近い市dふぁった。
高等学校は、市からはずれた丘陵の上に建っていた。今西は、学校のすぐ下までタクシーで来て、それから高い石段を上って行った。汗が出た。
会ってくれたのは、校長だった。五十四五ぐらいである。痩せて、背の低い、人のよさそうな人物だった。
今西は、ここで来意を告げた。
「ほう。この生徒は、何年卒業ですか?」
「いや、卒業じゃ、ありません。中途退学になっています」
「中途退学? すると何年生のときですか?」
「それがよくわかっていません」
「では、退学した年は、いつですか?」
今西は頭を掻いた。
「それも、実は、はっきりしないのです」
校長の方が当惑を見せた。
「それは弱りましたな。では、年齢からいくより仕方がないですね。その人は、何年生まれですか」
今西は、その生年月日を告げた。
「それだったら、旧制中学時代ですね。弱りましたな」
と、校長は顔をしかめた。
「実は、当校は戦災にあいましてね。旧制中学時代の記録は、全部、焼失しました」
「えっ、ここもですか?」
今西はがっかりした。
「やっぱり昭和二十年の三月十四日ですか?」
「いいえ、この市はもっと早く焼かれました。なにしろRという軍需工場がありましたのでね。一番に狙われたのですよ。昭和二十年の二月十九日に大空襲を受けました。そのとき、市の大半が灰燼に帰したのです。もちろん、当校は、当時の中学校として市のまん中にあったので、いっしょに焼かれてしまったのです」
「すると、中学校当時の卒業生名簿とか、在校生の名簿といったものは・・・・」
「はい、すっかり失ってしまいました。いま、大急ぎで手分けして、出来るだけ再生しているんですがね。なにしろ、古いものほどわからなくなってしまいました」
「それは残念ですね」
残念というのは、今西にとってだった。
「残念です。大正時代の創立ですから、当時の記録を失ったのは、ほんとに申しわけない次第です」
「何とかわからないでしょうか? いえ、わたしがおたずねしている、この人物のことですが」
「そうでうね。今、生年月日をうけたまわってみると、それから類推して入学時のことを考えるのも、一つの方法だと思います」
「といいますのは?」
「さよう。その頃の卒業生は、だいたい、心当たりがついています。もし、おたずねの人が二年で退学してもクラスは一緒だったに違いないから、記憶があるかもわかりません」
それは確かにいい工夫だった。
「そんな人がこの近くにいらっしゃいますか?」
「おります。現在、酒の醸造をやっていますがね。ちょうど、その頃の生徒だったと思います」
今西栄太郎は、街に引き返した。
2025/07/26
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