~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ある戸籍 (六)
市の大半が戦災にったというだけに、繁華街というか中心街のほとんどが新しい家になっている。が、辺鄙な方は古い町並みであった。戦災地と、残っている町とが、ここでは画然と分かれていた。
××高等学校の校長に教えられた行先は「京の花」という名前の酒の醸造元だった。
塀の外からも酒蔵が見える。表の構えは、いかにも関西の酒屋らしい格子構えにできていた。「京の花」という看板が屋根に大きくのっている。
今西は、店に入って当主に面会を求めた。
二十七八の若い主人が出て来た。
ここで今西は、ある人物のことで××高等学校に寄り、その頃の同級生と思われるこちらを紹介されてきたのだ、と言った。
「待っとくれやす」
若い主人は腕組みして、目を天井に向けた。彼は懸命に思い出そうとしている。
「あ、わかりましたよ」
「えっ、わかりましたか? そういう人がいましたか?」
今西は思わず相手の顔を見つめた。
「確かにいたようですね。そうです、そうです、途中でやめましたな。二年生のときと思ってまんねん」
「それはどこから通っていたか、知りませんか?」
「ええと・・・・、この町の、どこかに下宿していたようですわ」
「下宿?」
「へえ、家が、大阪の方やから、こっちに下宿してるのや、と言いよりました」
「その下宿は、どこですか?」
「いま、おまへん。あの辺、すっかり焼けてしもて、跡形もあらしまへんわ」
「その下宿屋さんの名前もわかりませんか?」
「さあ、はっきりとは知りまへんな。その男は、二年生になってからすぐ、学校をやめてしもたよってに、おそらく古い級友かて、だれも知りまへんやろ」
「そうですか」
ここでも「戦災」が捜査の壁になっているのだ。
今西は、ここで、その名前の人物が、現在、東京で活躍していることを知っているか、と聞いてみた。
「いいえ、知りまへんな」
当主は首を振った。
今西は、手帳にはさんだ新聞の切り抜きを取り出した。それには写真がにっている。
「現在の顔は、これですがね。見覚えがありませんか?」
若い主人は手に取って、つくづくと眺めていた。
「そうでんな、こんな顔でしたわ。けど、何や知らん、短い間のことでしたから、ぼんやりと、こんな顔やという印象だけですわ。へえ、あいつ、東京でそないに偉い人間になってまんのか」
と、びっくりしていた。
「当時の担任の先生は、いま、いらっしゃいますか?」
今西は切抜きを手帳にはさんで聞いた。
「その先生は、戦災にあって、お気の毒に亡なはりました」
今西栄太郎は、その夕刻、京都駅に行った。
八時半の上り急行にまだ間がある。彼は駅前の食堂でカレーライスを食べた。
わざわざ、こちらに来たかいがあった。
だいたいのことは予想していたが、まず、裏づけは取れたと言っていい。

島根県の山奥を、業病の父親と、一緒に歩いていた七歳の子供は、亀嵩で脱走し、大阪に出た。
彼はそこで誰かに拾われた。彼は、数年間、その人のもとで成長した。
このかたちは、たぶん、養子ではあるまい。小僧として住み込んでいたのかも知れない。その店も、当主も、戦災で消滅したと思える。とにかく、いまは形跡もない。
しかし、それがあの戸籍にある英蔵とキミ子夫婦ではあるまい。この名前は、届け人のこしらえた架空のものである。夫婦とも本籍地がわかっていないのが、その証拠だ。追完届という処置は取られているが、いまだに、夫婦の出生地を届け出ていないのだ。
彼は、その後、京都府××市に行っている。下宿と称しているが、それも、果たして真実かどうかはわからない。もしかすると、大阪の家から移って、別な家に拾われたのかも知れない。その家もやはり空襲で焼失している。
彼は中学二年で退学し、その後東京へ出たのだ。
要するに、彼が大阪、京都と居た事実はあるが、それを証明する証拠は何も残っていないのだった。
彼がその両親を大阪の浪速区恵比須町二ノ一二〇番地に設定したのは、賢明なやり方だった。ここでは戦災のために戸籍原本の一切を焼き、同時に、もう一つの戸籍原本を所蔵している法務局も書類一切を焼いている。
京都府立××高等学校に在籍したことも同じ手法だった。この学校も旧制中学時代の記録を焼失している。また、その市街も大半戦災にあっている。
痕跡はあるが、どこにも彼の履歴を証明する具体的な証拠は残っていなかった──。
今西栄太郎は、辛いカエーライスを食べ終わり、茶を飲んでいると、そこに客が残して行ったらしい夕刊があった。彼はそれを手に取った。地方紙である。
何気なく見ていると、文化欄の隅にのっている次のような記事が目に止った。
「和賀・関川両氏外遊決定。
和賀英良氏は、かねて渡米を計画していたが、いよいよ、来る十一月三十日午後十時、パン・アメリカン機で羽田空港を出発する。同氏は、ニューヨークを振り出しに、アメリカ各地を回り、さらにヨーロッパに向かう予定。
関川氏は、十二月二十五日、エール・フランス機でパリに向かう。同氏は、フランスを振り出しに、西独、イギリス、スペイン、イタリア各地を歴遊して来年二月下旬に帰国する予定。同氏は国際知識人シンポジュウムに日本代表として出席するもので、ヨーロッパ各地を巡る」
2025/07/27
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