~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ある戸籍 (九)
今西栄太郎は東京××大学を出ると、一応警視庁に帰った。
彼は久保田教授の話を全部手帳にメモしている「。
その話で、ふと頭をかすめたのが記憶があった。ずいぶん前のことである。
あれは女房と川口の妹が、横で映画の話をしている時だった。今西はその会話をまだ憶えている。
(映画も、本モノよりも予告編がおもしろいわよ)
妻の声である。
(そうよ。だって、予告編はあとから客を呼ぶために、おもしろいところだけを編集しているんですもの)
妹の返事だった。その声が耳に残っている。
そのときは、今西の目は新聞の活字を拾い、耳は会話に奪われていた。事実、それは興味をそそらない科学記事だった。
突然、今西の記憶に浮き上がったのも久保田教授の話を聞いてからだった。
各新聞は、警視庁にも保存されてある。
「今日は」
今西は広報課に入って行った。
「やあ」
課長が遠い席から明るい声で応える。
「今日は何だね?」
この間から、ここでは参考書のお世話になっている。
「すみませんが、××新聞の綴込みを見せてくれませんか?」
「いつのかね?」
「先月の分です」
「それなら綴込みからはずして、別なところに置いてある。勝手に見てくれたまえ」
「すみません」
今西は課長の言うままに、戸田なの隅の方に行った。
なるほど、各新聞の綴込みは別な紐でくくられて、うず高く積み上げられてある。
今西は探したが、三四冊下のところに目的の新聞がはさまっていた。
今西は、それを明るい窓の下に持ち出して、およその見当で日付を探した。探すときは、なかなか見つからないものだった。
今西は、ポケットから眼鏡を出して掛けた。かなり手間をかけたあと、ようやく見覚えの記事にゆき当たった。
相当長い。
今西は手帳を出してそれを筆記しはじめた。細かい活字を写すのは苦労である。
しかし、今西の心は躍っていた。彼はかなり手間をかけてそれを写し、新聞綴りを閉じた。
「何を写したんだね?」
課長が聞いた時、今西は黙って笑っていた。
一時間後、今西は蒲田署に吉村刑事を訪ねていた。二人はだれもいない狭い部屋にすわった。
今西栄太郎は、吉村に、自分の調べたことを話して聞かせた。
壽村は一語も聞き逃さないように耳を立てていた。
「そこで京都の話は終わりだ」
と今西は言った。
「今度は東京だがね。ぼくは××大学に行って、音響学の先生に話を聞いてきたよ」
「オンキョウガク?」
「音の学問さ」
「ああ、なるほど」
「学者というものはむずかしいことを言う。ここに筆記してきたが、実は、ぼくも理屈がわかっていない。先生の方では、なるべくわかりやすいように話してくれたのだが、がんらい、その方は頭が悪いときているからね」
今西は、もそもそと手帳を繰った。
「ここで、その手帳を読みあげても仕方がない。それよりも、ぼくは前にうっかり読み過ごしていた新聞記事を思い出したんだ」
「ははあ、どういう新聞記事ですか?」
「これも、むずかしい記事でな。ぼくが前に見たときろくに読む気もなしに読んだんだが。・・・これだよ」
彼は、さっき写してきた新聞記事吉村に見せた。
「超硬質合金に穴をあけ革命 ── 強力超音波の応用 極東冶金では、このほど強力超音波の原理を利用して、いままで不可能とされていた硬質金属穴あけに成功した。
これだと、従来の限られた切断機に見られない自由な穴あけが容易に出来るのみならず、深部にまで徹底し、この技術の応用しだいでは、将来自由な形にくり抜ける可能性も出てきた。同社では、この技術革命によって、いままで隘路とされていた硬質合金の大量加工に一大飛躍が訪れる、と言っている。この工程によれば、従来のものより十倍の加工が可能とされ、革命的な技術完成と各方面で称されている」
2025/07/31
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