~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
放 送 (三)
今西は吉村の話をひととおり聞き、彼が集めた資料を簡単に自分の手帳に控えた。
その文章の中に「パラポラ」というのが出てくる。パラポラというのは、ちょうどお椀の蓋のような形だと吉村は説明した。ある音波を放出するとき、このパラポラを通すことで凝集され、強力になる。
吉村が言った。
「何といいますかね。ほれ、ビルの屋上に丸いものが搭の上についているのがあるでしょう。あれです。あれがパラポラです。あの場合は、あの形がずっと大きいわけですね。ところが調べてみると、あなたのお察しのとおり、彼はこういうものをこっそりと買い込んでいましたよ」
吉村は報告に移った。
「それがだいたい七月ごろからだそうです。もちろん、パラポラだけではなく、ほかの器材も買っています。例の押し売りのことでも、入口にポラパラとツィーターを取り付けるんだそうですね。詳しいことはメモに書いてきましたが・・・」
「三木謙一が殺されたのが五月、宮田邦郎の死は八月三十一日、だから、七月はちょうど中間に当たるね」
「そういうことになります。そして、今西さんの推察どおり、宮田の死まで二ヶ月ありますから、いわゆる準備期間は、十分にあったわけですね」
「そうだな」
今西はうなずいたが、顔色は晴れていなかった。
「だいたいの見当はついたね。しかし、問題はわれわれが具体的な証拠をつかむことだ。これがないと、あくまで推定の域を出ないよ」
「そうでうね」
「困った。なんとかならないかな」
「完全犯罪に近ければ近いほど、手がかりがないわけですね」
「仕方がない。証拠が集まらない時は、多少の術策はやむを得ないね」
「術策ですって?」
吉村は、今西の口もとを見つめた。
「ここに」
と、今西は小脇に抱えていた新聞包みを、吉村に渡した。
「前衛劇団から借りた衣装がある。例の行方不明になったレインコートのやつさ。色も形も、盗まれたあれと全く同じだし、宮田の背に合せて普通市販のものより少し長めになっている」
「これをどうするんですか?」
吉村は不思議そうな顔をした。
「レインコートは、君が着て行くのだ」
「どこへ?」
「むろん、あの家さ。そこへ行くのは、君とぼくだけじゃない。電波法違反の摘発係官も行く」
「すると電波法違反で摘発するんですか?」
吉村が驚いたように言った。
「無理は承知だ。しかし、これよりほかに方法がない。すでに、捜査一課長から関係方面に了解を取りつけてある。だから、ぼくたちのあとから電波関係の技術員もあの家に行くことになるだろう。それには医者もついていく。法医学者も行く」
吉村は今西の言葉を聞いて、息を呑んだような顔になった。
「では、実験がなじまるんですね?」
「そういうことになる」
今西はやはり晴やらぬ面持ちで言った。
「こういう犯罪は。確証を掴むことが困難だ。確証は実験をしてみるよりほかにない。その間に、当人を外に出しておかねばならぬ」
「ああ、それが電波法違反で警視庁に出頭させるわけですね?」
「そうなんだ」
今西はいよいよ憂鬱気な顔になった。
「しかし、ぼくには確信がある。実験は、その確信を科学的に裏付けするためだ。科学者も、医者も、協力してくれることになっている。ただしだね、ぼくの確信を最初に自信づけてくれるのは、君の役目だ」
「私がレインコートを着ることですか?」
「そなんだ。あのレインコートは、犯人が蒲田の操車場で、血染めのスポーツシャツの上からすっぽりと被ったものと同型だ。色も、生地も、かたちも、まったく同じだ。前衛劇団の民衆劇に出てくる舞台用の衣装だからね」
「しかし、犯人は、自分のものをすでに処分していると思いますが」
「そのとおりだ。血染めのスポーツシャツでも、あのとおり成瀬リエ子に処分させたのだ。上から羽織ったレインコートにも、多少、下に血痕がうつっているかも知れない。犯人は周到な警戒をしていた。だから、レインコートも当然処分したと思わねばならぬ。どこかに隠匿しているとか、ほかの者にやったかというようなことはあるまい。犯人としても、そのレインコートを残すと、ルミノール反応か何かで血痕が証明される恐れがあるからね。彼g彼が処分したからこそ、あのレインコートが前衛劇団のところに戻っていないわけだ」
「わかりました」
吉村も今西の意図を受け取ったようだった。
「ぼくは君のそばについている。そして、犯人がレインコートを見てどのような反応を見せるか、観察するつもりだ。人間は、どのように準備をしていても、不意に虚を衝かれると、思わず顔色に出るものだ。その判定をぼくがやる。ぼくは、その結果次第で、彼を電波法違反に問うかどうかを決めたいと思っているくらいだ」
「すると、それは、いつ、決行するのですか?」
「明日の朝だ。八時ぐらいになるだろう。君の方の署長さんにも、その連絡が行っているはずだから、君が帰れば、その指示があるだろう」一息入れて、
「和賀英良の出発は、いつだったかね?」
と、今西栄太郎が聞いた。
「明後日の午後十時、羽田空港発のパン・アメリカン機です」
「そうだったな」
今西は、現在からそれまでの時間を計算しているようだった。
「今西さん、間に合いますか?」
「なんとかなるだろう」
しかし、今西の表情の下には焦燥が滲み出ていた。
「明日中に結論が出ますか?」
吉村が心配そうに聞いた。
「結論を出すようにする」
「大変ですな」
若い吉村にも、それが、容易でないことがわかっていた。
「大変だ。われわれとしても、のるかそるかの、瀬戸際だ」
今西はきっぱりと言って、自分のその言葉で決意を固めたような表情をした。
「そこで、科学者や医者が実験をしている間に、ぼくは君と別な用事がある」
「何ですか?」
「評論家の関川重雄のところに行くんだ」
吉村はそれを聞いて目を輝かせた。当然、そういう運びになるはずだという期待と、いよいよ、その段階に来たという緊張とが、顔に出ていた。
「ここで三浦恵美子が死んだ時の状態を考えてみよう。あれは転倒して、その衝撃で、流産の状態になって死んでいた。この辺が順序を逆にしているのだ。われわれは、彼女が転倒したはずみに流産の状態になったのかと思ったが、これをもう少し以前に持ってくる。つまり、彼女🅼の死の時間より以前においや方が正しいような気がする」
「やはり、例の超音波ですか?」
「彼女は、一種の“手術”を受けたのだ」
「しかし、それだったら、正当な医者の所に行くはずでしょ?」
「本人の意思がそうだったらね。だが、そういう変わった“手術”受けなければならなかったことは、彼女が医者のところに行きたくなかったためだと思う。つまり、恵美子の意思としては、子供を産みたかったのだ」
「では、だまされて、彼女はそこへ連れていかれたんですか?」
「おそらく、そうだろう。関川は友だちにそれを頼んでいたのだ」
「しかし、彼女死んでいますね?」
「死んでいる。しかし、それは、さいしょから彼女を殺す意志ではなかった。あれは、その“手術”に失敗したのだ」
「では、関川は、その装置を知っていたわけですか?」
「知っていたと思。いつごろ、それがわかったか知らないが、彼は宮田邦郎の死に彼なりの疑問をもって察したのではなかろうか。もし、恵美子の妊娠ということがなかったら、彼は親友に絶えず、その“知っている”ことで優位に立っていたはずだ。君、関川が急に和賀英良の音楽に対して好意的な批評をはじめたのを気づいただろう。彼の優位は、恵美子の“手術”を、彼に頼んだことで逆転したのだ」
2025/08/02
Next