午前八時ごろ、五人の男が、音楽家和賀英良の家を訪問した。
寒い朝だったので、コートを着ている者もいたが、一人はうす汚れたネズミ色のレインコートだった。この辺は住宅街なので、ひっそりしている。道には通勤者だけが足早に歩いていた。
一人が玄関前のベルを押した。
出て来たのは中年の女だった。ぬれた手を前掛で拭きながら戸をあけた。
「おはようございます」
背の高い、若い男が言った。
「ご主人はいらっしゃいますでしょうか?」
「あの、どちらさまで?」
中年女は家事の手伝いらしく、掃除の途中といった格好だった。
「こういう者ですが」
名刺を渡した。
「お目にかかりたいのですが」
「旦那さまは、まだ起きていらっしゃらないようですけれど・・・」
「すみませんが、お目ざめでしたら、お取りつぎください」
五人も立っているので、家政婦は気圧されたように奥へ入った。
今西栄太郎は、玄関に立って周囲を見まわした。ちょうど、上がりかまちの上に、小さな金属製のゴルフの球のようなツィーターが取りつけられてある。
同行した三人が、それを見上げて、うなずき合っていた。
家政婦が戻って来た。
「どうぞ、お上がりくださいまし。旦那さまはおやすみでしたが、すぐ、お目にかかるそうです」
「すみませんね」
五人が通されたのは応接間だった。
八畳ばかりの部屋だが、洋式になっている。簡単ながらしゃれた装飾だった。
音楽家らしく、マントルピースの上には楽譜が積み重ねてある。
西洋人の写真も二つ三つ飾られてあった。名前はわからないが、高名な音楽家なのかも知れない。
ほかの者はコートを脱いでいたが、吉村だけはレインコートを着たまますわっていた。窓に隣の灯が見える。
五人は黙って煙草を吹かしていた。遠くでドアの閉まる音がしたのは、主人が起きて洗面にでも行ったのかも知れない。近所のラジオが聞こえるくらい静かだった。
たっぷり二十分は待たされた。
スリッパの音が外から聞こえて、ドアがあいた。
着替えたばかりの和賀英良が和服で現れた。髪もきれいに櫛をいれてある。
「いらっしゃい」
彼は手に名刺をつまんでいた。
五人は椅子から立った。
「おはようございます」
一人が言った。
「朝早くから押しかけて、申しわけございません」
「いえ」
和賀英良は、五人の位置を眺めるように見まわしたが、その目が吉村の姿に当たると、瞬間に大きく見開いた。
それは吉村の顔にではなかった。強い視線が彼の着ているレインコートに吸いついているのだ。一瞬の驚愕と疑惑とが、その瞳にむきだしになっていた。
今西栄太郎は、五人の中で目立たぬ位置にいたが、目は和賀英良の顔から離れなかった。
和賀の驚愕の表情は、数秒という短い間だった。しかし、一瞬に見せたそのおどろきと疑惑の顔は、今西の視線に強く焼きついた。
今西は、ふっと溜息らしきものを洩らした。
この時、和賀英良は静かな表情に戻って、五人と向かいあって腰掛けた。テーブルの煙草入れから一本つまんだが、どういうものか、指先がすぐには器用に煙草をはさめなかった。
若い作曲家はマッチを擦って、うつむきながら火をつけている。煙が口のはしからのぼったが、このわずかな時間が、おそらく、和賀英良に一つの決意と応戦とを準備させていたのかも知れない。
「どういうご用事ですか?」
和賀英良は若い眉を上げて、先ほど挨拶した男に目を向けた。
「恐縮です」
その男はポケットから三つに畳んだ紙を出した。
「これをご覧になってください」
紙片は和賀の手に移ってひろげられた。
和賀の目がそれを読んでいる。しかし、この時はいささかの狼狽もなかった。
「電波法違反、とおっしゃるのですか?」
目を上げた時の和賀の表情には、かすかな微笑が出ていた。
「そうです・・・。いや、最近、超短波の違反がたいへん多うございましてね。私ども、探知機などをつかって方向を捜索していたのですが、どうも、お宅の方で高い周波数の電波が出ていることがわかりました・・・・。和賀さんは、そういう設備をお持ちなんでございましょう?」
「わあ、それは」
と、口もとに苦笑らしいものを浮かべた。
「ぼくの音楽は、ご存じかもわかりませんが、電子音楽というやつをやっていますので、その練習用といいますか、実験用に、真空管を使います。しかし、おっしゃるような電波法違反などということは、絶対にやっていませんよ」
「そうですか。しかし、一応、そういう設備をお持ちなら、われわれに拝見させていただきたいのですが」
「どうぞ」
和賀英良は平気だった。軽蔑的でさえあった。
「向うにございますから、ご案内いたしましょう」
「そうですか。では」
五人はいっせいに立ちあがった。もちろん、吉村も椅子を引いた。
このとき、和賀の目がふたたびきらりと吉村の姿を矢のように射た。今西が最初に見たあの疑惑が、その気がかりげな一瞥の視線に濃く現れていた。
一同は和賀英良のあとに従った。長い廊下を歩いて、別棟への渡り廊下を行く。そこが、実験室といったような小さな建物だったが、和賀は、その正面のドアをあけた。
その内部に一歩入って、一同はそこが楕円形のスタジオになっていることを知った。天井も、壁も、放送局と同じように完全な防音装置となっている。装置はやはり放送局の一部みたいに、ほかのガラス張りの部屋があり、小規模ながら音量調節室が内部の半分を占めて造られていた。
「こりゃ立派なもんですな」
と、叫んだのは、最初から和賀と話をかわしている警官だった。
「和賀さん、われわれは、この装置をゆっくりと拝見したいのですが」
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