~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (下)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
放 送 (七)
一座はしいんとなって今西の言葉に聞き入っていた。
「島根県を脱出した秀夫は、たぶん、実際に、その幼年期を大阪で過ごしたことと思います。これは私の想像ですが、たぶん、誰かに拾われて、そこで大きくなったと思います。しかし、これは、現在、どう調べてもわかりません。たぶん、その一家も、あの戦災で全滅したのではないかと思います。
その後、わかっていることは、彼が京都府立××高等学校に行っていることです。これは二年で中退になっていますが、当時、その××市に下宿していたと、彼は洩らしていたそうであります。
その後、東京に出て、その天分である音楽的才能を、芸大の烏丸教授に認められて、ついに今日を成すに至ったのであります。一介の浮浪児から、若くしてわが国作曲界の新しいホープとなった彼は、まことに異常な成功といわねばなりません。彼は、いわゆるヌーボー・グループの中でも特異な存在でありました。また、先ほど申しましたように、某有力政治家の愛娘とも婚約しました・・・。そこへ、突然、三木謙一が訪ねて来たのであります」
今西はつづけた。
「蒲田駅付近の安バーに、和賀英良が三木謙一を誘ったのは、おそらく、すでに殺意があったことと思います。そのため、彼はわざと粗末な風采をしていたのですが、このとき三木謙一はお国訛りを出したわけであります。長年、島根県の仁多郡に巡査として奉職していた彼は、つい、土地の言葉が身についたわけであります。それが目撃者によって勘違いされ、東方弁に聞こえたわけであります。あの辺一帯は、現在でも東北弁と同じようなアクセントを使っています。
捜査は、一時、そのことによって惑わされましたが、やがて、われわれは真実の方向へ進みました。この段階は、ここにくどくどと申しません。
ただ、和賀英良は、新聞によって、われわれの捜査が東北弁と“カメダ”に向かっていることを知り、いずれ、われわれが東北の“亀田”に注目するに違いないと、逸早く俳優の宮田邦郎を使って、亀田地方に旅行させ、ことさら怪しげな振るまいをして見せたのであります。宮田自身はその目的を知らないで、頼まれたことをやったわけです。これは、私の想像ですが、宮田は、かねて好意を寄せていた劇団事務員の成瀬リエ子に、そのことを頼まれたものでありましょう。
なお、和賀はその後、ヌーボー・グループの仲間を誘って、岩城町のロケット研究所見学に出かけております。これは調べましたところ、和賀が強引に一同を誘ったことがわかりました。彼は、宮田が果した役割の成果を、ひそかに探りにいったものと思われます。
リエ子は和賀の隠れた愛人であり、和賀の犯行後、彼のもとに当時、劇中で田宮の着ておりましたレインコートを届け、さらに血にまみれた和賀のスポーツシャツを処分いたしております。
ところが、そのあとになって、リエ子は、恐ろしい罪を犯した恋人への絶望から、自殺してしまいました。宮田はリエ子の自殺から、自分の果した役割をうすうす察して、和賀を責めたのであります。そこで和賀は宮田の口を封じるため、電子音楽と超音波とを併用して心臓麻痺を起こさせ、殺人をやったのです。
このとき、宮田は私と銀座で会う約束があり、劇団の帰りに和賀の家を訪ねたのですが、おそらく、数時間もの間、あの楕円形のスタジオに閉じ込められて、奇怪な電子音によって精神を惑乱させられ、さらに気分の悪くなったところへ、超音波を超音波を断続的に当てられたと思います。宮田がふだんから心臓の弱かったことは、和賀も知っていたことと思われます。この技術的な方法および医学的な所見は、あとで専門の方からお話があると思います。要するに、これまでにはない殺人方法ということを特に強調したいと思います。
話が前後いたしましたが、和賀は六月半ばに巣鴨駅付近で自動車事故にあい、負傷しておりますが、ふだん自家用車を乗りまわしている彼が、何のためにタクシーに乗り、しかも縁のない巣鴨あたりにいたか、ということは。彼の友人の間でも不思議に思われておりました。
これは、私の推測では、彼が愛人成瀬リエ子を滝野川に訪れた、その帰途の出来事であったと思われるのであります。たまたま、その日は、リエ子が滝野川に引越した日でありました。
一方彼の友人に評論家の関川重雄というのがいます。この関川は、そのライバル意識から、心ひそかに和賀に対して不快に思っていたのですが、あるとき自分の愛人である三浦恵美子、これはバーの女ですが、その女が妊娠したので処置に困り、というのは彼女が中絶を拒絶したからですが、その処置を秘かに和賀に頼みました。以下は関川重雄の供述でございますから間違いはないと思います。和賀に頼んだ理由は、彼が秘かに電子音楽によって生理状態に異常を与えることが可能であると言ったことを聞いていたからでああります。実は、それが超音波のことなんですが、関川は事情を知らず恵美子の処置に窮して和賀に頼んだのであります。恵美子は何も知らないで和賀のスタジオに入り、宮田邦郎と場合と同じように結果になりましたが、そのときは、おそらく、和賀には殺意はなく、妊娠中絶が可能であると思ってその方法をとったことと思います。しかるに、それは失敗し、恵美子はスタジオを出るや、ふらふらになって卒倒したそうです。倒れた拍子に渡り廊下の下に転落し、その堅いコンクリートの床に体が当たって、皮肉にも流産状態を起こさせたのであります。
恵美子の死におどろいたのは和賀英良だけでなく、関川もびっくりしました。しかし、これはあくまで二人の秘密として葬ることにし、そのために、関川は急に和賀に対して弱い立場に立たされたと申します。
以上のことはかいつまんでのことですが、とにかく、本人は明日の夜、羽田を出発して外国に参ります。これから皆さんの質問を受けましてお答えいたしますが、そのご判断によって、和賀英良に対する逮捕状の請求をお願いいたしたいと思います」
2025/08/05
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