四季があり、恵まれた自然環境の中で暮らしていた縄文人は、「生物・無生物に限らず万物に霊魂が宿る」というアニミズムの思想を育んでいましたが、それが弥生時代にも受け継がれました。
稲の収穫が天候に大きく左右されることから、「自然界のあらゆるものに神が宿るという信仰文化がいっそう強まりま、後の神道へと発展していったと考えられます。
また稲作は多くの水を必要とするため、人々はそれまで生活していた小高い丘から、川の流れる平野部や濕潤地帯へと移り住みました。種まきや収穫の時などに、集落総出で方策を祈願する祭礼を行なうようにもなりました。たとえば秋の終わりに収穫を祝う「新嘗祭」もこの時期に原型が作られたと思われ、その後、大和政権の建国から現在まで宮中きゅうちゅうで連綿と行なわれている重要祭祀さいしの一つです。もっとも応仁の乱から戦国時代は多くの宮中祭祀が中断され、江戸時代に入ってから復活しました (新嘗祭も寛正かんしょう
四年【一四六三】~元文げんぶん【一七四〇】に中断)。ところが、これが大東亜戦争後、アメリカ占領軍の政策により、宮中祭祀・国事行為から切り放され、その祭日が「勤労感謝の日」という意味の異なる名称に変えられてしまいました。古代からの歴史のつながりを断たれてしまったことは残念な限りです。 |
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