~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
神功皇后の謎
『日本書紀』にも、 神功 じんぐう 皇后の時代に大和政権が朝鮮半島に進出し、新羅を屈服させて百済を直轄地としてという記述がありますが、はたしてこれが広開土王碑記されている三九一年の出来事なのかどうかは不明です。ただ『日本書紀』のこのあたりの記述は実に謎めいたものとなっいます。
九州を支配していた 熊襲 くまそ を討伐するため、 筑紫 つくし (現在の福岡県) に赴いた第十四代 仲哀 ちゅうあい 天皇は、神 かりとなった妻の神功皇后から、「西海の宝の国 (新羅) を授ける」という神託を受けました。
ところが、仲哀天皇はこれを信じず、神を非難しまし。すると突然 崩御 ほうぎょ したのです。普通に読めば、神の怒りに触れたためと解釈できますが、天皇の業績を称える書とも言うべき『日本書紀』に、天皇が神の罰を受けたとも読める記述があることには違和感を禁じ得ません。しかも 諡号 しごう (死後に贈られる天皇の名前) の「仲哀」に、「哀しい」という文字が入っているのも意味ありげではないでしょうか。
さらに『日本書紀』には新羅との戦いの後に奇妙な記述があります。神功皇后の出産のくだりです。生まれた子は後に第十五代 応神天皇 おうじんてんのう となりますが、『古事記』によると、応神天皇は父の仲哀天皇の死後、十五ヶ月後に生まれてということになっています。
一方『日本書紀』では、仲哀天皇の崩御から十ヶ月と十日後に出産したことになっていますが、いわゆいる「 十月十日 とつきとおか (人の妊娠期間) というのは、実は九ヶ月と十日なので、これも普通の妊娠期間より一ヶ月も長いことになります。記紀には出産が遅れた理由がいろいろと書いてありますが、それが逆に怪しく、むしろ記紀編集者が苦労しているようにも思われるのです。
仲哀天皇も神功皇后も実在しなかったのではないかという説が一部にありますが、創作上の天皇なら、わざわざこんな不自然な記述をする理由がありません。したがって仲哀天皇も神功皇后も実在したと考える方が自然です。もっとも仲哀天皇の身長は一丈 (約三メートル) あったろあり、その子の応神天皇は『古事記』では百三十歳 (『日本書紀』では百十歳) まで生きたとあることから、そもそも二人の実在を疑う学者もいます。
歴史研究家の中には、この時に王朝が入れ替わったのではないかという説を唱える人もいます。仲哀天皇が、熊襲との戦いで戦死し、代わって熊襲が大和政権を滅ぼして権力を掌握したという説です (『日本書紀』にも熊襲の当たったという異説がある)。しかし仮にそうなら、なぜ『日本書紀』にそのことが書かれていないのせしょうか。ひとつ考えられるのは、記紀が書かれた八世紀頃にはすでに、「皇統は万世一系であらねばならない」という不文律があったため、記紀編集者がそのあたりをうまく工夫して書いたのではないかということです。定説にはなっていませんが、私はこの説に興味を惹かれています。少なくとも、応神天皇の父は仲哀天皇ではなかったのではないかと思うのです。
この新王朝説を私が排除しないもう一つの理由は、神功皇后とその子、応仁天皇の諡号に「神」という文字が入っていることにあります。天皇の名前に「神」の文字が入ることは特別なことです。初代から昭和天皇まで百二十四代とされる歴代天皇の中で諡号に「神」の字が付いているのは、初代の神武天皇、第十代 崇神 すじん 天皇と第十五代応神天皇の三方のみです。
「大和朝廷の祖」とされる神武天皇の業績の大きさはいうまでもありません。畿内を統一して、強大な王朝を作ったとされている崇神天皇の業績も神武天皇に劣りません (二代から九代の天皇の業績はほとんど記録されていない)。つまりこの二方は歴代天皇の中でも特別に偉大な存在なのです。そのため、神武天皇と崇神天皇は実は同一人物ではないかという説もあります。しかも不思議なことに『日本書紀』の中で、この二人の天皇は同じ「ハツクニシラススメラミコト」という尊称が付されているのです。「ハツクニシラススメラミコト」とは、「初めて国を作った男」という意味ですが、この奇妙な一致を単なる偶然とは思えません。一方、二代から九代までの天皇は実在しないという説も根強いのです ( 欠史八代 けっしはちだい といわれている)
神功皇后とその子の応神天皇が、崇神天皇以来の「神」の文字を戴く人物であることの意味は大きいということをおわかりいただけるしょうか。敢えて大胆に推察すれば、ここで王朝が入れ替わり、その初代を表わすために「神」も文字を用いたようにも思えるということなのです。仲哀天皇が崩御したのが平時でなく、九州での戦の途中であったことからも、戦死であった可能性は排除できないというわけです。
2025/08/12
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