~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
飛鳥時代 (六世紀後半~八世紀初頭)
古墳時代が終わり、第三十二代崇峻すしゅん天皇から百年ぐらいを飛鳥時代と呼びます。これはhぽとんどの期間において都が飛鳥 (現在の奈良県高市たかいち明日香あすか村) にあったからですが、万葉集などでは明日香と書かれることが多かったようです。明日香の枕詞が「とぶとりの」ということで、いつの頃からか「飛鳥」と書かれるようになりました。ただ、今も前記のように地名には明日かという字が残っています。
この頃の日本は朝鮮半島の経営にあまり力を注いでいません。あるいは継体天皇即位に関係した内戦のためか、海外にまで手を広げる余裕を失っていたのかも知れません。六世紀には朝鮮范とにおける影響力も低下し、五六二年には、日本支配地であったとされる任那が新羅によって滅ぼされています。
継体天皇の死後、豪族の蘇我そが氏と物部もののべ氏の間で、仏教を日本に受け入れるか否かの争いが起こりました。結局、物部氏が滅ぼされ、仏教を受け入れることとなります。
仏教が伝来する以前の日本には神道しんとうがありました。
神道を宗教と呼ぶことにはいささか違和感があります。神道には、他の宗教が持つ教義や経典がなく、開祖も教祖もいません。森羅万象に神が宿るという自然信仰に近い考え方が基となり、祖先を敬い、浄明正直 (浄く、明るく、正しく、まっすぐ) に生きることを徳目とするという道徳観が加味されたものが神道といえると思います。
天照大神などの神々が描かれている『古事記』や『日本書紀』を神道の聖典と見做す考え方も一部にありますが、神道は世界の多くの一神教のように、他の宗教を排斥したり敵視したりするものではなく、そのため仏教をも受け入れることができました。
もともとは社殿のようなものはなく、古代においては、神が降臨すると考えられた大木や巨岩や山などが神聖な場所とされていました。後に仏教寺院を真似て社殿が作られるようになり、現在、全国各地に存在する神社は約十万に及びます。
物部氏を滅ぼした蘇我氏はやがて継体天皇の孫である崇峻天皇を殺害して、第三十三代推古すいこ天皇を立てるなど、大きな権力を握るようないます。推古天皇は、日本初の女性天皇であり、東アジアにおいても初の女帝でした。」
この推古天皇時代の六〇〇年に、日本は失った任那を取り返すため、朝鮮半島に兵を送り、一度は新羅を降伏させました。ところが、新羅は日本軍が去ると、再び任那に侵攻します。その後、日本は二度、派兵しますが、いずれも新羅を屈服させるまでには至りませんでした。それでも七世紀は日本が再び朝鮮半島に強い影響力を持ち始めた時代であったといえるでしょう。
2025/08/15
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