~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
十七条憲法の凄さ
聖徳太子が制定したといわれる日本初の成文法は「十七条憲法」は、驚嘆すべき先進性を秘めています。そこには為政者である天皇の権威と力を誇示する文言はあるものの、それよりも人々が平和に暮らしていくための道徳規範が強く打ち出されています。
そして何よりも驚くべきことは、第一条に(原文には一条ではなく、「一に曰く」とある)、「和を以て貴しと為し、さかふること無きを宗とせよ」(原文は漢文)とあることです。
これが第一条の書き出しなのですが、つまり、まず「仲良くすることが何よりも大切で、争いごとは良くない」といっているのです。その後に、「何事も話し合いで決めよう」と続きます。これは言い換えれば「民主主義」です。世界のほとんどが専制独裁国であった古代に、「争うことなく、話し合いで決めよう」ということを第一義に置いた法を定めたというのは、世界的にも珍しい画期的なことえあったといえます。
第二条には「仏教を大切にせよ」と書かれています。当時の人々にとって宗教は、現代と比べものにならないくらい重要なものでした。しかも仏教は太子自身が積極的に普及さ褪せたものです。しかし、太子はそれさえも第一条に置かずに二番目に持って来ています。
さらに驚くべきは、第三条にようやく「天皇のみことのりに従え」と書かれていることです。聖徳太子は天皇の摂政であり、同時に推古天皇の後継者であったわけですから、「尊皇」を最初に持って来ても何ら不思議ではありません。しかし太子はこれを三番目に置きました。つまり天皇の権威よりも、「和=話し合うこと」や「仏の教え」の方が大切だと言っているのです。しかも「天皇」にではなく、天皇の「詔」に従えと書かれています。これは個人崇拝を求めていないといおうことをも意味しています。
この後の条文にも、人として正しい行いをすることの大切さが書かれています。
「十七条憲法」は実は聖徳太子の作ではなく、後世の創作という説を唱える研究者も少なくありません。原本がないことや、文法や語句の使い方などが後世風であることから、八世紀の『日本書紀』編纂時に、聖徳太子が作ったことにして誰かが創作したというのですが、一方、それらの説への反論もあり、真実はわかりません。
しかし私は、たとえ「十七条憲法」が八世紀に作られたものであったとしても、その先進性という価値は少しも損なわれるものではないと考えています。『日本書紀』の編纂が開始されたのは、第四十代天武てんむ天皇の御代みよで、天皇の権力が絶大な時代です。
その時代に、「和と、話し合うことの大切さ」を謳ったということは、聖徳太子時代の政権が民主的な精神を重んじていたという証拠に他なりません。歴史学者の中には、「十七条憲法」は現代のような法体系の憲法ではないとして、その先進性を認めない人が少なくありませんが、そのような木を見て森を見ずという姿勢こそ歴史を見る目がないといえるのではないでしょうか。
2025/08/17
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