万葉仮名の読み方がいかに難解なものか、ひとつ例を挙げてみましょう。
次に紹介する歌は、私の大好きな歌人で「歌聖」と称えられる柿本人麻呂の有名な歌です。
「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月傾かたぶきぬ」
東方に朝日が昇りつつあるのが見え、振り返ると西方に月が沈もうとしているのが見えるという雄大な自然の風景を詠んだ歌に見えて、今まさに表舞台に上がろうとする者に対して、静かに人生の舞台を降りようとする者の対比を描いているように見える深い歌ですが、この歌は原文の万葉仮名では次のように書かれています。
「東野炎立所見而反見為者月西渡」
先に挙げた読み方は江戸時代の国学者である賀茂真淵かものまぶちのものです。彼は二十数年の年月をかけて万葉集を読み説きました。その後、多くの学者や歌人が解読を積み重ねてきたことにより、現代の私たちも『万葉集』を読むことが出来るのです。これは『古事記』も同様です。
ただ、『万葉集』が完全に解読できたわけではありません。今も意味や読みが不明な言葉はいくつかありますし、「枕詞まくらことば」も多くの謎を孕んでいます。先に挙げた人麻呂の歌の読み方も、同時代にそう読まれていたのか、実際のところ不明なのです。たとえば前述の歌の最後の「月西渡」はそのまま「月、西渡る」と読むのではないかと考える人もいます。 |