普通の歴史の本では、このあたりで律令制度の細々とした用語が山ほど出てきます。
たとえば、中央官制には政務を行なう太政だじょう官、祭祀を司つかさ
る神祇官などがあり、太政官の下には八省はあって、これを二官八省と呼ぶ、というようなことです。他にも税の仕組みや、田畑の区分による名称、司法の細かい制度などがありますが、こういうことは専門家以外には、面白いものではないdせしょう。受験生なら覚えなけらばならないかも知れませんが、一般読者が歴史を大きく見る上では、知る必要がないと思うので、本書ではこの種の解説は詳しく書かないこととします。
ただ、土地の制度についてだけは書いておかねばなりません。
律令制度のもとでは私有地は認められず、土地は公有を原則としました。そして六歳以上の人民に一定量の田畑が与えられました。これを口分田くぶんでんといい、売買は禁じられ、本人が死ねば再び公有地となり、口分田として新たな人民に与えられました。これを班田収授法はんでんしゅうじゅのほうといいます。中国の制度を参考にして作られたこの制度は、非常に公正かつ合理的なものでした。千三百年以上も前にこれを導入した祖先の先進的な取り組みに驚かされます。
しかし、公地主義は徹底したものではなく、寺社に与えられた田畑(神田、寺田)などは実質私有地に近いものと見做され、収公(没収)はされませんでした。寺社はこれを基盤にして、後で述べる「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう」なども利用して荘園へと拡大していき、残念ながらこの素晴らしい制度は崩れていきます。
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