~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
律令制度と班田収授法
普通の歴史の本では、このあたりで律令制度の細々こまごまとした用語が山ほど出てきます。
たとえば、中央官制には政務を行なう太政だじょう官、祭祀をつかさ る神祇官などがあり、太政官の下には八省はあって、これを二官八省と呼ぶ、というようなことです。他にも税の仕組みや、田畑の区分による名称、司法の細かい制度などがありますが、こういうことは専門家以外には、面白いものではないdせしょう。受験生なら覚えなけらばならないかも知れませんが、一般読者が歴史を大きく見る上では、知る必要がないと思うので、本書ではこの種の解説は詳しく書かないこととします。
ただ、土地の制度についてだけは書いておかねばなりません。
律令制度のもとでは私有地は認められず、土地は公有を原則としました。そして六歳以上の人民に一定量の田畑が与えられました。これを口分田くぶんでんといい、売買は禁じられ、本人が死ねば再び公有地となり、口分田として新たな人民に与えられました。これを班田収授法はんでんしゅうじゅのほうといいます。中国の制度を参考にして作られたこの制度は、非常に公正かつ合理的なものでした。千三百年以上も前にこれを導入した祖先の先進的な取り組みに驚かされます。
しかし、公地主義は徹底したものではなく、寺社に与えられた田畑(神田、寺田)などは実質私有地に近いものと見做され、収公(没収)はされませんでした。寺社はこれを基盤にして、後で述べる「墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう」なども利用して荘園へと拡大していき、残念ながらこの素晴らしい制度は崩れていきます。
身分制度
もう一つ、身分制度についても述べておきましょう。律令制度とともに出来上がった中国の制度を真似て、人々は良民と賤民に分けられました。さらに良民は皇族・貴族・公民・雑色ぞうしきの四つに分けられます。皇族と貴族は支配階級とされ、様々な特権と恩恵がありました。公民は農民などのことで人口の大部分を構成していました。雑色とは貴族に仕える者で、主に手工業や軍事的な技術を持った人々でした。
賤民は人口の一割程度いたといわれており、奴隷または準奴隷的な身分でした。賤民のうち奴婢ぬひは所有者によって売買される身分でしたが、完全に固定化されたものではなく、一定の年齢になり、所有者が認めるなどすれば良民になれることもありまっした。所有者が亡くなって相続人がいない場合も、自由な良民になれました。
良民と賤民の結婚は禁じられていましたが、実際にはあとを絶ちませんでした。当初は、良民と賤民との間に生まれた子は賤民とされましたが、後には子は良民とされると改められました。また賤民にも班田収授法が等しく適用されました(ただし良民よりも与えられる土地は少なかった)
これらを見ると、日本の身分制度は諸外国に比べて、厳格なものではないのがわかります。中国やヨーロッパ社会における人権皆無のような奴隷制度に相当するものは、日本には存在しなかったといえます。
2025/08/24
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