~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
コラム-07
ここで改めて繰り返しますが、「記紀」における応神天皇や継体天皇のくだりは、「万世一系」を史実として記述しようという編纂者の苦心の様が窺えます。このようい書くと、「百田尚樹は万世一系を否定している」と批判してくる人がいますが、けっしてそうではありません。むしろ『古事記』や「日本書記』の編者によって皇室の万世一系が保たれたことに、私は深い感動を覚えています。彼らの記述があったれなこそ、万世一系の伝統と思想が確固たるものとなったのではないかとさえ考えています。
「天皇は神武天皇の男系子孫であらねばならない」という思想が生まれたのはいつごろか定かではありませんが、やがてそれは国民全体に浸透する共通概念となり、それが日本という国のアイデンティティに繋がったのです。
日本の歴史において、皇室の血統を継がない者が天皇をしいし、自らがそれに代わる存在になろうとした人物は皆無です。先に書いた「長屋王の変」や「藤原広嗣の乱」は、あくまでの天皇の側近になろう、あるいは天皇を操ろうという目的で為されたものです。後の時代の乱や変も、この構造は変わりません。
ヨーロッパや中国大陸では、王や皇帝を殺して権力を奪った例は枚挙にいとまがありませんが、日本においてはただの一例もないのです。唯一の例外と言えるのは、自ら「新皇」と名乗った「平将門の乱」ですが、前述したように将門は桓武天皇の男系子孫(五代目)であり、厳密に言えば皇室の血統を継いでいるといえます。
また平清盛きよもり以降、武士が権力を握りますが、時の権力者の中にも天皇にとって代わろうとした者はいません。これは世界的に見ても稀有なことです。そしてその結果として、少なくとも千五百年以上も続く世界最古の国として今に存在することになったのです。
2025/08/27
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