白村江の戦いに参加した日本軍の兵士の中に
大伴部博麻
という人物がいました。六六三年、博麻は唐軍に捕らえられ、
長安
ちょうあん
に送られました。その頃、長安には唐と日本が戦争を始めたことによって捕虜扱いになっていた遣唐使が四人いました。六六四年、唐が日本侵略を企てているという情報を得た博麻は、この情報を何とか四国に知らせようと考えて自らを奴隷として売り、その代金を四人の遣唐使に渡して、彼らの帰国資金とさせました。四人は六七一年に帰国し、朝廷に唐の計画を伝えます。
唐に残された博麻は奴隷として暮らしていましたが、その後、自由の身になり、六九〇年にようやく帰国できました。捕虜となって二十七年後のことでした。持統天皇は博麻の国を思う心と行動に感謝し、彼に「朕、厥の朝を尊び国を愛ひて、己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ」という勅語を贈ります(原文は「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠)。これは、天皇が一般個人に与えた史上初の勅語となりました。また、この勅語の中にある「愛国」という言葉は、日本の文献上に初めて現れたものともなりました。
当時、「国」という概念も「国家意識」も現代のようではなkったはずです。にもかかわらず、一兵士が「愛国」の精神を持っていたことに驚くとともに、自らを犠牲にしてまで国を守ろうとしたことに感動を覚えずにはいられません。
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