~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
平安京
延暦一三年(七九四)、平安京に遷都した桓武天皇は、大胆な政治改革を実施しました。農民に課していた労役義務(雑徭)を半分にし(ただし地方は半減されなかった)、さらに兵役の義務を廃止します(九州と東北は除く)。その代わりとして、郡司(郡を治める在地の有力豪族)の子弟や有力農民による新しい軍隊を創設しました(健児こんでい制)。また地方政治の乱れを監視するために、勘解由使かげゆしを置き、国司(郡司の上に立つ地方の官吏)交替の際の不正を取締ったりもしました。
この頃、最澄さいちょう空海くうかいが唐に渡り、仏教の新たな宗派を日本に持ち帰りました。以後、多くの僧は、最澄が開いた比叡山延暦寺えんりゃくじ(天台宗)で修行するようになります。空海が開いた高野山金剛峯寺こんごうぶじ(真言宗)も栄え始めます。それらの宗派はやがて貴族の間にも広まりましたが、本当の意味で大衆化されるには至りませんでした。僧たちも、世の中の平安を祈って加持祈祷寺かじきとう(仏の呪力による儀式)をしたものの、貴族の期待に応えて個人の幸福を祈る現世利益げんぜりやくに重きを置くようになっていきます。
当時、東北地方は蝦夷えみしと呼ばれる人々が支配していて、朝廷の力は及んでいませんでしたが、延暦二一年(八〇二)に征夷大将軍の坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ(青森と北海道を除く)を支配し、朝廷は北海道と沖縄などを除く日本全国をほぼ統治下に置きました。なお、蝦夷=アイヌ説は今でも学者の間で意見が分かれ、定説がありません。
征夷大将軍とは朝廷の官職の一つですが、もともとは文字通り「蝦夷を征服する将軍」という意味でした。これが後に、武家政権の首長を示す称号となっていきます。
なお「幕府」とはもともと、征夷大将軍が天皇に代わって軍の指揮を執る陣地のことをいいます。
2025/08/29
Next