~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
成熟の時代へ (国風文化の開花)
東北を支配下に置いてから百年ほどは大規模な軍勢が動員される兵乱や事件は起こっていません。 薬子 くすこ の変( 平城太上 へいぜいだいじょう 天皇の変) 承和 じょうわ の変、応天門の変などの政変はありましたが、いずれも日本をゆるがすような出来事ではありません。古代からダイナミックに動いて来た歴史が、いったんその動きを止めたかのような時代です。私にはこの時代が、日本とい国が誕生から成長にかけての波乱に富んだ時代を終え、成熟の時を迎えたかのようにも見えます。
それまで頻繁に行なわれていた遷都も、平安京に移してからはぴたりとやみました(その後は、明治維新まで千年以上遷都されなかった)
平安時代の大きな出来事といえば、まず遣唐使の停止が挙げられます。
六〇〇年に遣隋使が送られて以来、二百五十年以上、日本はずっと人を派遣して大陸の文化や制度を取り入れてきましたが、平安時代に入った頃から、その回数は激減していました。平城京の時代は命懸けの航海をしてしてでも大陸の進んだ文化を取り入れたいという必死の思いがありましたが、平安時代には中国の文化を消化して、日本優れた文化国家となり、危険を冒してまで遣唐使を送る必要がなくなったと考えられたのです。
寛平 かんぴょう 六年(八九四)、半世紀以上ぶりに遣唐使を送る計画が立てられましたが、学者であもり 蔵人頭 くろうどのとう という政治の重職でもあった 菅原道真 すがわらのみちざね が停止を進言し、受け入れられました。これ以降、遣唐使は一度も送られず、二百五十年以上続いた遣唐使はついに廃絶しました(民間における交流はあった)
停止の理由は唐の政情不安ということがありましたが、私はそれよりも、中国からは学ぶべきものはすべて学んだという意識が根底にあったのではないかと見ています。
まるでその あかし のように、遣唐使が廃止されて以降、真に日本らしい傑出した文化が花開くこととなります。
その一番は仮名文字の発明でした。仮名文字が出来る前は文章を書く際には、漢文を使うか、そうでない場合でもすべての文字に漢字を使用していました。漢字を表音文字として使っていたのですが、その典型が『万葉集』です。しかしこれでは音や訓が入り混じり、しかも統一された決まりもなく、一般に普及させるには非常に不便なものでした。そこで編み出されたのが仮名文字だったのです。
最初に仮名を使用したのは九世紀初めの僧侶たちでした。彼らは経典などの難読漢字の横に、読みやすいように省略文字でふりがなをふっていました。たとえば、江→エ、止→ト、多→タ、という具合にです。これが片仮名の由来です。片仮名はその後も漢文の読みを表す補助的な文字として使われますがその後、漢字の草書体から平仮名が編み出されます。平仮名は片仮名び比べ優美な曲線を持っていたことから、宮中で女官たちが好んで使うようになり、そのため「 女手 おんなで 」とも呼ばれました。私はこのふたつの仮名の発明は日本の文化史上の大発明であったと考えています。これによって日本語における表現力が飛躍的に発展したからです。
平安京の女官たちは高い教養を備え、またそれを競い合うかのように、平仮名をふんだんに使って様々な著作を生み出しました。 清少納言 せいしょうなごん が書いた随筆『 枕草子 まくらのそうし 』、紫式が書いた長編小説『 源氏物語 げんじものがたり 』、藤原 道綱母 みちつなのはは が書いた日記文学『 蜻蛉日記 かげろうにっき 』、藤原 孝標女 たかすえのむすめ が書いた『 更級日記 さらしなにっき 』などは、千年後の現代でも読まれている名作です。
これらの文学作品は平仮名の発明なくしては生まれませんでした。「やまとことば」といわれる繊細な言葉は、情緒豊かな表現の世界を広げていきます。その代表作である『源氏物語』は、現代でも世界のニ十ヵ国以上で翻訳されて読めれています。私は、平安時代の文学が女性たちによって紡がれたことを、実に素晴らしいことだと思っています。
日本以外の世界を見渡せば、多くの女性が書物を著すのは近代になってからのことです。それ以前の中国やヨーロッパでは、貴族であっても女性は出産や子育てや男性の快楽のための存在であり、教養や知識を持つどころか、文字を読める人さえ稀でした。イスラム原理主義の強い国では、二十一世紀の現代でも女性に教育が与えられていません。しかし日本においては古代からすでにあらゆる階級の女性が和歌を詠み、それらが『万葉集』にも数多く載せられていたのです。また『源氏物語』を読めば、当時の宮中の女性たちが男性の所有物ではなく、恋愛に関しても、対等にかなり近いものであったことがわかります。
話を平仮名に戻すと、小中華を自負する朝鮮が、平仮名にあたる「ハングル」を持ったのは十六世このことです。しかし、この文字は当時の朝鮮の学者や知識階級から嫌われ、ほとんど普及しませんでした(公文書はすべて漢文)。ハングルを朝鮮の民衆に広く普及させたのは、実は二十世紀に大韓帝国を併合した日本なのです。もとも第二次世界大戦後、独立を果した大韓民国ではナショナリズムが昂じた末に、固有名詞以外では漢字がほとんど使われなくなり、書籍もすべてハングルで綴られることとなりました。その結果、現代の韓国で流通する文書のほとんどが、日本語でいえばすべて平仮名で書かれた文章となっているのです。
2025/08/30
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