京都は都になったことで、同時に言葉の発信地となりました。都の言葉は人から人へと伝播し、やがて遠く離れた地域にまで広がっていきました。もちろんテレビやラジオなどもない時代ですから、その伝播の速度は遅々たるものです。
ところで言葉というものは常に新しいものに生まれ変わります。それまで使われていた名詞・形容詞・副詞・動詞などが別の言葉に変わるということはよくあります。もちろん一時的な流行で短期間に廃れてしますものもあれば、古い言葉に取って代わるということもしばしばあります。
その場合、時として奇妙な現象が生じます。それは古い言葉がまだ全国の津々浦々に伝播しきっていない状態で、都に新しい言葉が生まれた時に起こります。
つまりある地方で〇〇という言葉が使われている時、都では同じ意味で△△という言葉が使われているという状況になるのです。そして△△が広がっていった時に、都では□□という言葉が生まれるということもあります。こうして長い年月の間に、同じ言葉が日本中でいくいつもの異なる言葉で表現されるという状況が生まれます。そお分布は京都を中心といた同心円を描きます。これを「方言周圏論」といいます。最も外側の円(東北や九州)の言葉は古い都の言葉が残っているということになります。
「方言周圏論」は民族学の
柳田国男
が昭和五年(一九三〇)に唱えた説です。
柳田は「カタツムリ」を意味する言葉が京都(関西)を中心に五重の円(五種類の言葉)を描いていることを発見しました。関西の「デデムシ」、中部地方と中国地方の「マイマイ」、四国と関東の「カタツムリ」、九州と東北地方の「ツブリ」、九州の西部と東北地方の「ナメクジ」です。「方言周圏論」によれば、京の都でナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシと変化していったことになります。
ただ「方言周圏論」は言語学会では定説とまではなりませんでした。というのは、すべての言葉に法則性が見出せなかったのと、周圏分布とは真逆の言語分布がいくつもあったからです。
しかし平成三年(一九九一)、朝日放送のテレビ番組「探偵!ナイトスプーク」が、日本全国のアホ・バカ表現(ホンジナシ、タワケ、ダラ、アンゴウなど)を調査した時、京都(関西)を中心に二十前後もの同心円が描かれていることが判明しました。同番組のプロデューサーである
松本修
まつもとおさむ
は、
夥
おびただ
しい文献にあたって、それらの言葉が都でいつ頃流行ったのか特定し、京都から離れたところにある言葉ほど(都で使われた)古い言葉であることを証明しました。彼は後にこの研究成果を『全国アボ・バカ分布考』(太田出版・新潮文庫)という本で発表しています。
松本は朝日放送を退職後も独自の調査を続け、現在、彼が発見した五重以上の「同心円」を描く言葉や文法事象は百を超えています。その業績は学界でも高く評価されています。したがって、すべての言語にその法則性は当てはまらないものの、「周圏論」の存在は否定出来なくなっています。また松本は京の都が千年にわたって言葉の発信地であったことも証明しました。
興味深いことは、鎌倉や江戸は言葉の(全国的な規模での)発信地にはなり得なかったということです(江戸を中心とした言葉の【同心円的】広がりは、旧江戸市中か、せいぜい関東平野の内に限定される)。その事実を見る時、京の都が持つ不思議な力を感じます。もしかしたらそれは「言霊の国」における天皇の持つ霊力のようなものだったのかも知れません。
余談ですが、私は昭和六十三年(一九八八)、「探偵!ナイトスプーク」が立ち上げの時から現在に至るまでチーフ構成作家として携わっています。「全国アホ・バカ分布図の完成」編の放送回は平成三年(一九九一)に、テレビ番組に与えられる三つの大きな賞である「日本民間放送連盟賞」のテレビ娯楽部門最優秀賞、「ATP賞」のグランプリ、「ギャラクシー賞」の選奨を受賞しています。
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