ここで少し変わった話をします。現代では「性愛」は異性間だけのものではないという主張が認められつつありますが、古代はどうだったのでしょうか。
ヨーロッパでは男同士の性交(男色)はキリスト教徒が禁じていたこともあり、ローマ帝国以降は同性間の性愛はタブーとされてきましたが、古代ギリシャではそうではありませんでした。男性同士あるいは女性同士の性愛は珍しいものではなかったようです。ギリシャのレスボス島には女性を愛した女性詩人サッフォーがいたこと、同島がレズビアンの語源となっています。古代の中国でも男性同士の性愛はタブーではありませんでした。
日本でも同性愛の禁忌は強いものではなかったようです。仏教が入って以降、女人禁制の寺院などでは僧同士による関係は珍しくありませんでした(一説には僧侶の世界の男色は空海が唐から持ち帰ったと言われている)。やがてそれは僧以外の貴族社会にも浸透し、平安末期には、男同士の肉体関係はよくあったようです。
また女性のいない戦場では、武士たちが男色関係を結んだり、少年を随行させて女性の代わりとしたといわれています。それらの風習は後の鎌倉時代や室町時代を通じて続き、戦国時代になると、大名や武将たちは小姓(武将の身辺の雑用をこなす少年)を相手に性交するのは普通のことだったようです(しかし男色を好まなかった武将もいた)。
こうした歴史を見ると、日本は「LGBT」(レズビアン、ゲイ、バイセクイシャル、トランスジェンダー)に関してはヨーロッパよりも進んでいたといえます。ただ、レズビアンに関して書かれた記録はほとんどなく、その実態は不明です。 |
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