~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (上)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
コラム-12
日本の歴史上、武士として初めて絶対的権力者となった平清盛ですが、皇室を滅ぼして自らがその位に就こうとはしませんでした。天皇は(名目上ではあるものの)日本の最高権力者として自らの上位に奉っていたのです。また藤原家同様、娘を皇室に嫁がせはしましtが、息子を皇室に入れるということはしませんでした。ここに皇室の持つ不思議な力が見えます。
平家没落の後、日本の権力機構は、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と、およそ七百年に渡って武家が握ることになります。しかし前に述べたように、いすれの時代においても、皇室を滅ぼしたり、自らがそれに代わろうとという権力者は現れませんでした。唯一の例外的な存在が足利義満あしかがよしみつといえなくもないのですが、彼については後述します。
幕府と朝廷の関係については、しばしば「権力」と「権威」という構造で語られることがありますが、私は室町時代や江戸時代の人々がそんな近代的な概念で両者を捉えていたはずはないと思っています。では、当時の人々は皇室をどう捉えていたのでしょうか。それは「畏れ」であると私は考えています。言いかえれば、一種の宗教的な呪術性を持った存在です。
天皇は天照大神の流れを汲む万世一系の子孫であり、政治的権力を失った後は、常に日本国と民の安寧を祈る祭祀を司る祭司のような存在となっていました。単にその時代の権力者が取って代われるようなものではなかったのです。すべての時代の権力者が皇室には皇室には手を出すことが出来なかった理由もそこにあります。また朝廷が定める元号を廃止する権力者も現れませんでした。
これは一般市民も同じです。江戸時代、天皇が住んでいた京都御所は、塀も低く、警護の人もほとんどいませんでしたが、泥棒や強盗が御所を襲ったという記録はありません。また勅封倉ちょくふうそう(天皇の命令によって封印された倉)である奈良の東大寺の正倉院も同様で、厳重な警備がなされていなかったにもかかわらず、約千二百年の間、大規模な盗難にはあっていません(記録では内部の僧が盗んだケースが三例、犯人不明が一例)。これを見ても、天皇が日本人にとっていかに「畏れ多い」ものであったかがわかります。それゆえにこそ、二十一世紀の今日まで特別な存在で有り得たのです。
2025/09/10
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