降伏した後醍醐天皇は足利尊氏の要求に応じて、三種の神器を光明天皇に譲り(三種の神器は古来、即位に必須とされる)、京都に幽閉されました。しかしその年の暮れに秘かに奈良の吉野へ脱出し、光明天皇に渡した三種の神器は偽物で、本物を所持している自分こそが真の天皇であると宣言します。これにより、京都の朝廷(北朝)と吉野の朝廷(南朝)の二つの朝廷が存在するという前代未聞の事態となります。しかも二つの朝廷がそれぞれ異なる元号を用いたから尚更ややこしいのです。
後醍醐天皇は全国に勢力を挽回すべく、北陸や九州など各地へ自らの皇子を奉じた武将を派遣しました。これにより、全国の諸将の間で、南朝を正統とする者たちと、北朝を正統とする者たちが内乱を繰り返すこととなります。 |
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