種子島の人々に鉄砲を伝えたポルトガル人は、その後、本国に戻って日本のことを伝えます。これがヨーロッパの国々にもたらされ「極東の国・日本」についての初めての情報でした。それまでヨーロッパから見て極東に位置する日本はまるで知られていなかったのです。
十二世紀にモンゴル人がユーラシア大陸をほぼ征服したことによって、シルクロードが整備され、ヨーロッパと中国との交易が一気に活発になりました。十三世紀、フビライの時代に中国を旅したマルコ・ポーロが著した旅行記(一般には『東方見聞録』として知られる。口述筆記したのはルスティケッロ・ダ・ピサ)は当時のヨーロッパ人のアジアに対する関心と興味をかき立てました。
その書の中に「中国の東に『黄金の国ジパング』がある」と紹介されて以来(実際にはマルコ・ポーロは日本には来ていない)、「ジパング」はヨーロッパ人を惹きつけて来ましたが、その際、約二百五十年の間、正確な位置すら不明だったのです。その証拠に、ヨーロッパで発行された当時の地図には、日本が太平洋上のあちこちに適当に描かれています(日本の「発見」はコロンブスがアメリカ大陸を発見した明応元年【一四九二】よりも半世紀以上の後のことである)。
日本が「発見」されて以後、世界をキリスト教化するという使命感を持っていたカソリックのイエズス会が積極的に宣教師を送り込んできました。
戦国時代の後半に日本にやって来た宣教師たちは、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆しています。もちろん中には悪口も書かれていますし、文化の違いや民族的偏見によると思われる辛辣な表現もあります。日本人のことを書いた手紙や日記の中で、最も有名なのが、前述のフランシスコ・ザビエルが書き残したものです。そこにはヨーロッパのインテリ(ザビエルは文才豊かで教養もある人物だった)の目を通して見た当時の日本人の姿かあります。彼が本国のイエズス会に書き送った多くの手記の中から、日本人に言及したくだりをいくつか紹介しましょう。
「私がこれまで会った国民の中で、キリスト教徒にしろ異教徒にしろ、日本人ほど盗みを嫌う者に会った覚えはありません」(ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本より、以下同)
「(聖徳に秀でた神父の日本への派遣と関連して)日本の国民が今この地域にいるほかのどの国民よりも明らかに優秀だからです」
「日本人はとても気立てがよくて、驚くほど理性に従います」
優秀で気立てがよく、理性的、盗みを憎む ── これが十六世紀の日本人の姿です。
あくまでヨーロッパの人々から見て、ということであり、もちろん絶対的な基準などありません。ただ、この時から約三百年後の幕末の頃に日本に来たヨーロッパ人たちも同じような印象を記しているのです。
他に多くの宣教師が共通して挙げているのは、日本には庶民にも読み書きの出来る者が多いということと、男性が常に武器(長刀および短刀)を携行しれいたと」いうことです。実際、戦国時代の日本人の識字率と武器携行は、当時のヨーロッパとは比較にならない高さでした。後者については、特に武士とは書かれていませんから、当時の男性の多くが刀を持っていたと考えられます。
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